2014年1月9日木曜日

01 はじめに

100 はじめに

2010年9月ガンが見つかった。すでに晩期の前立腺ガンであった。
精密検査をうけている途中からガンの転移しているところが痛み出し、歩くのにも家内の肩 につかまりながら、やっと歩ける状況であった。

 ガンの三大治療法には手術、抗ガン剤、放射線があるが、私の場合、ガンが全身に転移して いたことから、これら三大治療法はとれなかった。断崖絶壁の崖っぷちに立たされ、一歩誤 れば転落するぎりぎりのところにいたのである。

 そんな私が「晩期ガンからの生還」をしたのである。私自身奇跡のように思っている。
「アキラめない」は私が闘病生活中に強く心がけた言葉である。
「晩期ガンからの生還」の構成は「ガン闘病記」「PSAの推移」「ガン備忘録」[レシピ集」 の四つからなっている。

  • 「ガン闘病記」は時系列に闘病過程に触れている
  • 「PSAの推移」は闘病の過程が表形式で一目でわかる
  • 「ガン備忘録」はガンを説明している資料、書籍等の要約や意見、などをまとめてある
  • 「レシピ集」食事療法のヒントが書かれている


この闘病体験がすべてのガン患者の参考になれば幸である。
 
なお、この闘病記は「「アキラめない」私のガン闘病記(Tumblr)で公開されていたもに 大幅に手を加えている。理由は追加を繰り返すうちに、Tumblrの画面が3章ほど見れなく なってしまったかがである。

2014年1月8日水曜日

02 ガン闘病記

200 ガン闘病記目次
201 ガン告知~ 激痛・不安・恐怖
202 検査は最悪 ~頭の中は真っ白
203 ガンと闘うぞ~ジュース療法
204 ガンと闘うぞ~食事療法
205 ガンと闘うぞ~セルフ治療
206 植物の力~ 仮説「植物がガンを予防する」
207 植物その2~植物栄養素は薬を超えるか
208 復活の軌跡~第一段階・ガンに勝利宣言
209 新たな挑戦~禍福はあざなえる縄の如し
210 第二段階・再発防止に挑戦
211 ガンと自然治癒力~ガンと闘う仲間たち
212 いもむしの家出~ 小さな生き物がくれた贈り物 (2013.8.8)
213 チョウが飛び立つ~夏の思い出 (2013.8.25)
214 ガン発覚3年経過~ガンを侮ってはいけない (2013.10.31)
215 一日一万歩~健康のバロメータ (2014.1.25)
216 ミキサーに変更~これが優れもの(2014.2.4)
217 気力と体力と~パソコン奮戦記(2014.4.22)
218 ガン発覚4年経過~リバウンド(2014.12.26)
219 五年生存を達成~新たな五年に挑戦(2015.9.23)
220 あらすじ~五年の歳月(2015.12.21))
221 主治医とはなにか(2016.5.11)
222 イギリスの医療制度(2017.1.1)
223 ガンとの共存・八年目にはいる(2018.1.1)


201 ガン告知


(一)尿が出ない
9月になっても暑い日が続いていた朝、突然尿が出なくなった。2010年の夏は異常に暑く、室内でも熱中症にかかる人がいて、はじめは私自身も、てっきり熱中症にやられたと思った。しかし尿の出ないその苦しさは熱中症とは違うようだ。医者嫌いの私でも我慢ができなかった。家内のアドバイスで近所の泌尿器科の病院に駆け込んだ。
病院は混んでいてなかなか順番が来ない。苦しみながらの二時間を経て、やっと診察。尿道閉塞ですぐにカテーテルを膀胱に入れて尿を出すことができた。出た尿は600ccで、通常、膀胱に溜まる量の二倍に相当した。
頻尿、残尿感、尿切れが悪い状況は以前からあった。しかし痩せてきたとか、体調が悪いとかいう前兆はまったく無かった。

(二)検査、検査で、日が過ぎていく
二週間後、超音波で前立腺を調べると、前立腺が普通の三倍近くになっていることがわかった。これが膀胱を圧迫して、尿道閉塞や、頻尿、残尿感、尿切れが悪いことの直接の原因となっていた。
前立腺が膨張している原因としては、前立腺肥大や、前立腺ガンが考えられるので、念のためPSA(前立腺特異抗原)を検査することになった。
医者はこの段階では深刻な病気が隠されているとは考えていなかったようだ。医者からは、「前立腺患者に出す二種類の薬を処方しますから一ヶ月様子を見ましょう、一ヶ月後に来てください」 と軽く言われた。

一カ月後
10月20日、PSA(前立腺特異抗原)の数値が721と判明した。医者が相当あわてているように感じられた。
(401PSA(前立腺特異抗原)の判断基準参照)
PSAは、前立腺ガンの有無を判定する基準として使われている。年齢にもよるが、正常の人では、PSAの正常値はおおむね4以下だとされる。そこから考えると、721という数値はとてつもなく高い。
医者は、「炎症を起こしている場合でも数値が高くなることがあるが、数値から見てガンの可能性が高いとみられます。精密検査をしましょう」 といった。医者の「ガンの可能性」というこの言葉を聞いて、ガンに罹患したことを覚悟した。

(三)家族に話すのがつらい
気持ちが動転する中で家内に話さなければならない。事実を話して、精密検査まちだと話す以外なかった。家内が落ち着いて対応してくれたのが救いだった。
兄弟、子供たちには、二回目のPSA検査の数値が786とでて、一回目より数値が悪化しているのを見て医者から「ガンに間違いないでしょう」といわれてから連絡した。電話では話しづらいのでメールでつぎのように連絡した。
「九月はじめ尿道閉塞となり、検査の結果、前立腺が普通の人の三倍になっていました。PSAの検査をしたところ721という異常に高い値が検出されました。再検査でも786と一段と悪い結果が出ました。
医者の意見では、私の数値が極めて高く、前立腺ガンと診断されました」(10月29日)。

これに対して兄からの返信は
「前立腺のやまいは男性にとって、ほとんど必ずもたらされるものです。 そして、胃のやまいと同様に、治療のもっともしやすいもので、完治も可能です。気持ちをしっかりとおもちください。
私のまわりには、前立腺がん手術の経験者がたくさんおいでです。
他の病の起らぬように、気をつけてください、気持ちによって体の調子は変わりますから、気持ちをしっかりとしてください。
橋本豪『ガンを自分で治した医師の「ガン治し」本気塾』ビタミン文庫、マキノ出版
参考になるかとおもいます。発送します」
励ましと勇気が出るメールだった。あとでもう一度触れるが、この本は文字通り人生を変えた一冊となった。

次男からのメールは
「父さんへ返信遅くなってごめんなさい。正直、ショックでなんて返していいのか、
こんなに近くにいるのにどんな顔をして会えばいいのかもわかりませんでした。
非常に進行の遅いタイプだと聞いたのでちょっと気が楽になりました。
うーん何書いていいのか、わからんですwwww
またビールをくすねにいきます!ではでは」
この次男からのメールは、だいぶ困惑している様子がうかがえる。

長男からのメール
「ご連絡ありがとうございます。まずは、検査、お疲れさまでした。けっこう大変だったのではないでしょうか。前立腺がんは男性の罹患率が高い病気ですね。
ガンの中では、比較的完治率が高いと記憶しています。
私の知人でも2~3人いたと思います。とりあえず、結果を待って、その後のことを考えましょう」
冷静に対応してくれているようだ。

検査に話を戻す。
10月26日
検査入院。前立腺の細胞組織を、直接、採取針で採取してガン細胞の有無を確認する「生検」という検査で、私の場合は8本採取した。

11月9日
千葉駅にある井上記念病院でガンの転移を調べるCTと骨シンチグラフィーの検査をおこなう。
骨シンチグラフィーというのは、骨にできたガンを調べる検査である。特殊な放射線物質を注射して、三時間後にガンマカメラで撮影すると、ガンができた骨の部分が黒く映し出され、前立腺ガンの特徴である、骨への転移を発見できる。

この骨シンチグラフィーでは、大変苦しんだ。午前中に注射を打ち、「注射後水分を取って、撮影直前に排尿してください」との指示に従って水を飲んだが、思ったほど排尿ができない。撮影直前にもトイレに行ったが、思うように排尿ができない。
撮影が始まったら体はバンドが掛けられ、身動きができなくなった。とたんに膀胱に尿が溜まりだした。このごろは尿意があると我慢ができなくなるので注意深く対応したつもりであったがうまくいかなかった。医者が、あと30分です、あと20分です、あと10分ですと経過をいってくれる。この声を聞きながら、脂汗を流し時間の経過を祈るようにまった。終わってトイレに駆け込んだとき、よく我慢できたと思う。途中で我慢ができず、漏らしてしまうのではないかという恐怖に何回も襲われた。

(四)身体がどんどん蝕まれていく感じ
検査を受けている間に、身体のいろいろな個所に変調が見られるようになった。
10月中ごろ一日のトイレに行く回数が20回を越えてきた。就眠中のトイレの回数は5から6回、多いときで7回、自分でもいつ寝ているのかと不思議に思うほど頻繁であった。
このころは尿意をもよおすと切迫感があり、我慢ができなくなってきた。外出するときは、必ずトイレの場所を確認してからでないと不安で出かけられない。自動車も、途中のトイレが心配で、乗るのを控えるようになってしまった。

11月7日
右鎖骨、右足股関節が痛みだした。歩くのが不自由になり、家内の肩につかまって駐車場までの50メートルもやっとの思いで歩く状況になってしまった。
(425痛みの本質参照)
体重は55キログラムと、今まで維持してきた体重より4キログラムも減ってしまった。身体のあちらこちらが蝕まれ、どんどん悪くなっていくのを感じながら、不安との戦いの毎日であった。


202 検査は最悪

(一)検査結果は最悪
11月17日、検査データがそろい、ガンの詳細が判明した。ステージはD2で最悪、ガンを判断する三つの内訳は
①ガンの広がり=前立腺生検8本中7本に腫瘍細胞が見つかる
②ガンの顔つき=油断できないタイプ=悪性(グリソンスコア 2から10のうちの9 数字が大きいほど悪性)
③転移は、骨盤、脊椎、肋骨、肺、リンパ節

ガンのステージはAからDがあり、中でD2は最悪である。D3というのはあるがこれは再発した場合のステージである。
(402 前立腺ガンのステージ参照)
もう一つ最悪なのがグリソンスコア.検査の結果は「9」、つまりガンの顔つきが油断できないタイプ=悪性だということである。進行性で悪性のガンということでそれだけ扱いが難しいガンだということである。「全身に転移していて、悪性度の高いガン」と言われ、思わず「末期ガンですか」、と聞いてしまった。
(403 グリソンスコア参照)
医者がなんと答えたのかは覚えていない、頭の中が真っ白になってしまった。晩期ガンといったような記憶があるがはっきりしない。       
数日前、長男が、医者との面会に立ち会おうかと連絡してきたが、まだ自分の判断力は大丈夫だと答えて断っていた。それにもかかわらず、検査結果に直面すると、ひどく動揺してしまい、まあ情けない話である。それだけガンの検査結果は衝撃的であった。
医者は撮影写真を見ながら説明を始めた。全身の骨シンチグラフィーの映像には転移したガンの箇所が黒くでている。骨盤と足の付け根、脊椎、左と右の肋骨に転移がくっきりとみられた。別のCT写真からはリンパ節などに転移がみられ、また胸のレントゲン写真からは、もやのような白い影が肺の全体に広がり、肺への転移も認められた。全身にガンが転移している事実が、撮影をつうじて、まざまざと見せつけられたわけである。
(404骨シンチグラフィー参照)
肉親、親しい友人がガンで亡くなった経験が頭の中をかけめぐった。自分のこれからの闘病生活に思いをかけ、不安、恐怖でいっぱいだった。

(二)ガンの治療にホルモン療法
医者は状況説明のあと、ガンの治療についての説明に入った。前立腺ガンの治療法は①手術、②放射線、③ホルモン療法の三つがあるが、私の場合は、③ホルモン療法でいくと告げられた。このあと医者はホルモン療法とは何か、問題点はどんな点か、を説明していた。
(406ホルモン療法参照)
ここまで聞いたとき、なにか気持ちが楽になった。開き直りかもしれない。あとで気持ちを整理してみると
① 前立腺ガンは特殊なガンであり、適切な措置によって、私のような全身に転移した場合でも生きのこれる可能性があるかも知れないという「かすかな希望」

② 全身転移した進行ガンだったから、手術がなくなったという「安堵な気持ち」

③ 抗ガン剤、放射線という手段が取れなかったことで、逆に副作用で苦しむことがなくなったことによる「苦痛からの開放」(ガンといえば副作用。多くのガン患者が副作用で苦しんでいる)

④ ホルモン療法しか手段がないと聞いて、「反骨精神」が湧いてきた。「食事療法・野菜ジュース療法」があるじゃないかという「開き直った気持ち」になった。
色々な気持ちが交じり合っていたのである。自宅に帰って家内に以上のことを冷静に話し、後で触れる食事療法・野菜ジュース療法を頑張ろうと話した。

(三)5年生存率は29パーセント
 これは後で知ったことではあるが、インターネットで前立腺ガンの5年生存率を調べてみると、D(転移性ガン)レベルの場合は5年生存率が29パーセントであった。A(偶発的に発見されたガン)の場合の5年生存率は97パーセント、B(局部限定ガン)では100パーセント、C(局所浸潤ガン)では60パーセントであった。ほかのデータを見ても、Dレベルのうち骨や肺など遠隔点に転移している場合の5年生存率は20~30パーセントと、ほぼ同じ結果が報告されている。
(407前立腺ガンの5年生存率参照)

 早期に発見し適切な措置を取れば、前立腺ガンの場合の5年生存率は、他のガンに比べてきわめて高い。ところがリンパ節や骨や肺などに転移している場合には、通常の前立腺ガンと比べると5年生存率が極端に低くなる。あらためて、自分がおかれている状況がいかに厳しいかを認識させられた。

 なお、参考までにほかのガンの生存率についても調べてみた。全がん協のデータでもステージⅣ(遠隔転移がん)の場合は、いずれのガンでも急速に生存率が落ちているのが認められた。
(408全がん協五年生存率参照)

(四)先進医療「陽子ガン療法」
 「ホルモン療法」以外の別な治療法ということで、厚生労働省から先進医療として認可されている「陽子ガン療法」についても調べてみた。陽子を使う粒子治療の利点は、放射線治療のような副作用がないことである。患部のみをターゲットとする局所的な治療法で、局所制御率は96パーセントと非常に高い。    しかし局所の治療法のため、私のように全身に転移しているケースは適用できない。また保険適用外のため、国立がんセンターの場合で288万円と、かかる費用はべらぼうに高い。治療費を負担できたとしても、ガンが転移している場合には「先進医療」からも見放されているのである。
(405先進医療参照)

203 ガンと戦うぞー野菜ジュース療法ー

検査が続き、治療がいつ始まるのかわからないなかで、体のあちこちが痛くなり、確実に状況が悪化しているのがわかる。崖っぷちにたたされ、一歩誤れば断崖絶壁から落ちてしまう、そんなイメージだった。
何とかガンと戦う手段はないものかと考えていた。そんな時、ガンと戦う「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」が見つかったホップは「野菜ジュース療法」、ステップは「食事療法」、ジャンプはガンに克つ「セルフ治療」である。どんな風にしてガンと闘ったか、順番に述べていこう。

(一)野菜ジュース(その一)―ホップー
 いろいろ模索していた10月末、家内が人参ジュースの話を思い出した。これはもう20年ぐらい前に読んだ本に出ていた記事で、ある末期ガンの患者が、車椅子に乗ってアメリカに治療に行き、毎日人参ジュースを3,000cc飲んで元気になり、自分の足で歩いて帰ってきた話であった。アメリカで、ガン治療として食事療法が注目され始めたころの話だ。末期ガンの患者が人参ジュースで回復し、歩いて帰ってきたこと自体驚きであったが、実は、渡米時に禿げ上がっていた患者の髪の毛が、帰国の時、黒々と生え揃っていたという話が面白く伝えられたので、記憶に残っていたのであった。

 ガン治療の先進国で人参ジュースが飲まれているなら、ものはためしと早速始めることにした
(409ゲルソン療法参照)
ジューサーがなかったため、ミキサーで作ることにした。人参をミキサーにかけてみたが、硬くて飲めない。つぎは人参を茹で、それからミキサーにかけた。柔らかくはなったが、どろどろとしてこれも飲むのに大変。どろどろしたところに缶詰のホールトマトをくわえて流動性を高めた。それでも、人参トマトポタージュのようなもので、作るのも飲むのも大変な代物であった。
それでも家内は一生懸命で、冷蔵庫に一日1,000ccを作りおいてくれた。これを5回に分けて飲んでいた。
これが第一世代のポタージュ風人参トマトジュースで、約10日間飲み続けた。

(二)野菜ジュース(その二)
 千葉駅の井上記念病院についてはすでに触れたが、検査が昼休みをはさんで午前と午後にまたがったため、昼休みは待合室でパンを食べながら新聞棚から新聞を取り、なにげなくページをめくっていた。すると突然『今あるガンが消えていく食事』(済陽高穂著ビタミン文庫マキノ出版)という本の広告記事が目に飛び込んできた。なにか運命的なものを感じてしまった。
 病院の帰り道、千葉駅の本屋で探したが見つからなかった。家内に頼んで翌日買ってきてもらい、斜め読みしてジューサーを即刻買いにいった。そのとき、痛い足を引きずり家内の肩につかまりながら、駐車場まで惨めな思いで歩かなければならなかった。ガンが転移して痛みが広がってきたのであろう、もはや躊躇はできなかった。
 翌日、11月11日から済陽式食事療法を開始した。食事療法については後ほど触れたいと思う。ここでは野菜ジュースについて触れておきたい。

 野菜ジュースを始めたころは一日2,000ccを飲んでいた。二週間が経過したころ肺炎になり食事が喉を通らなくなってしまった。このときは食事代わりとして、一日4,000cc以上を飲んでいた。その後は3,400から3,500ccを目標にした。野菜の栄養素が転移している体全体にいくようにと考えて、アメリカの事例にみる3,000ccより多く、というごくごく単純な考えからはじめた。
 一日3,400から3,500ccは半端な量ではない。初めのころは食欲がなくなる、トイレの回数が増える、下痢の心配もあった。

 試行錯誤のすえに次のようなスケジュールとなった。
ポイントは一日5回に分けて飲むと決めて、朝起きたとき1,000ccを一気に飲む、あとの4回は600ccずつを分けて飲む、夕方までに一日の量を飲みきり、夜は飲まない。夜のトイレ対策である。
5回に分けたのは、体がいつも野菜ジュースで満たされているイメージを想定したからである。作り置きはせず、一回ごとに飲む分を作ることにした。
 ジュースを作るところから片付けまでは、一回当たり30分かかるから、ジュースの間に食事、朝寝、読書、昼寝、風呂など一日がかなり忙しい。
 朝は家内も一緒に400cc飲むことから、二人合わせて一日あたり3,800ccとなる。一日に使う野菜の量も半端ではない。一日に使う野菜は、

人参2キログラム強 りんご2個半
キャベツ一個半 大根400グラム
セロリ5から6本 ピーマン4個
たまねぎ2個 キュウリ2本
レモン3個から4個 オレンジ1個

 一日に使う分量をあらかじめ切り、柑橘類は皮をむいたりしてプラスチック製容器にわけて、冷蔵庫に入れておいてもらう。飲む時間にこれを取り出し生ジュースにする。
 人参はビタミンCを破壊する酵素が入っているため、必ずレモンと一緒にジュースにした。

手荒れ・かぶれにご用心
 なお、これは注意事項だが、野菜を大量に処理するため、手が荒れたり、皮がむけたり、割れたりする。野菜のアクが強烈で、手が弱い人は炊事用の手袋の着用をすすめたい。
ジュースを飲む時は口の周りにくっつく、これが「かぶれ」の原因になる可能性がある。飲んだあと口の周りを石鹸で洗うのをおすすめしたい。

旬の野菜を選べば良い
 素材は、季節の旬の野菜を選べばいいと思っている。冬の間は白菜を使った。いささか水増しのきらいはある。
春になると、春大根、セロリ、ピーマン、たまねぎを入れたジュースが強烈。我が家ではこれを「四天王ジュース」といっている。細胞がいっせいに目覚めるような刺激が来る。だんだん過激にバージョンアップしてしまった。
夏になればゴーヤ、明日葉などが加わる。ゴーヤも強烈である。

なお材料のグラム数を書いておいたが、あまりグラム数にこだわらず、最後はキャベツの量で調整するくらいの軽い気持ちでいいと思っている。

(三)野菜の買出しと・ごみ捨て
 野菜の買出し、ごみ捨ては大変であった。医者からは骨折の心配があるといわれていたから、力仕事は私にはできなかった。すべて家内がやってくれた。野菜・果物は重くて運ぶのに大変。
家内はリュックサックを担いで買い物に行く。重さに耐えかねて一時背中を痛めてしまったこともあった。
 近所にアメリカの倉庫店「コストコ」があって大いに助かった。品質が良くて、安くて、量があり、世界各国から季節に合った食材を集め、販売しているからまことに便利である。一週間に二回買出しに行く。マンションの駐車場から三階まで10キログラムのリックサックを背負い、大きな買い物袋に大量の野菜を入れて運ぶ。それも二回である。大変な重労働である。

 ときどき横浜の友達からは「野菜・果物の宅急便」が届く。家内の母親からは、生協で買ったキャベツだとかりんごが届けられる。家内の弟ご夫妻は、市場に行ったといっては野菜・果物を届けてくれた。同じマンションの人も買出しを手伝ってくれたし、家庭菜園の野菜を分けてくれた。病気をして、実に多くの人から支えられているのを感じる。
 ごみの量も大変だ。大きなビニール袋を二回に分けて捨てに行かなければならなかった。一時、ベランダで土と混ぜて堆肥にしようとしたが、量が多くなりすぎたこととハエが群がってしまうことで断念した。

(四)冬は寒さとの戦い
 ジュースを始めるにあたって下痢の心配があった。現役のころ、千葉から東京に通っていたが、自宅から会社までのすべてのトイレを知っていた。腸過敏症と医者はいい、よく下痢をしていた。ひどいときは、夏でもビールを飲むと翌日かならず下痢をした。だから夏でもお酒を飲むときは、ビールはやめて温かい日本酒か焼酎のお湯割りを飲んでいた。
 そんなわけで真冬に朝1,000cc、一日通じて3,000ccの冷たいジュースには抵抗があった。便の回数は増え、便はゆるくなったが、幸いにして下痢にはならなかった。
「案ずるより生むが易い」だったが、ジュースを飲むにあたっては、朝、サツマイモを一切れ、ヨーグルトを一日450cc摂って、整腸作用に役立てたいと考えた。これが効いたのかどうかはわからないが、下痢にはならなかった。腸は免疫作用に重要な関係がある。野菜ジュースで栄養素を補っても、下痢で腸の免疫力を損なっては大変だ。

厳寒に震えながら飲んだジュース
 ジュースを飲むに当たってのもうひとつの悩みは、真冬に冷たいジュースを飲むと体が震え上がってしまうことだった。
それにしても体が震える。対策としては、ジュースを飲んだあと、「効いている、効いている」と声を出しながら手足を動かして、暖をとる原始的な方法をとっていた。よその人が見たらいささか怪訝に思うだろう。
 もうひとつの対策は、ショウガ湯である。ショウガをあらかじめ千切りにして乾燥させておく。飲むときに、一つまみコップに入れて電子レンジで加熱する。黒砂糖を入れるとおいしく飲める。これを飲むとショウガによって身体が熱くなる。ショウガを食べるとより効果的であった。「効く・効く体操」と「ショウガ湯」で、何とか厳寒を乗り切ることができた。

(五)夏は暑さとの戦い
 冬が終わると、今度は気温の上昇にたいして、野菜の鮮度をいかに維持するかが問題となってきた。人参の根が出てきたり、たまねぎの芽が出てきたり、腐り始めたりとなかなか難問である。暑さが厳しくなると野菜の腐り方が早くなる。
 キャベツは新聞紙にくるんで保存しているが、結局は買出しの回数を増やすしかないようだ。大量のジュースを飲むだけに、悩ましい問題である。野菜の種類によって保存法が違うのだろうが、ぜひ知っている人にめぐり合いたいものである。
 暑さとの戦いで、もう一つ難問は大量のごみである。ゴミ袋に入れてマンションのベランダにおいておくと、ごみの汁がにじみ出てくる、臭いがする、ハエのようないろいろな虫がわんさかと集まってくる。これも現在試行錯誤で、これといった妙案がない。
(507野菜ジュースとPSAの推移参照)

204 ガンと戦うぞー食事療法ー

(一)済陽式食事療法
 ガンと戦う「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」のステップは「食事療法」である。食事療法は『今あるガンが消えていく食事』(済陽高穂著)を全面的に実行した。ガンの痛みを抱え、崖っぷちに立たされている身としては、ほかに選択の余地はなかった。
済陽医師はこの本のなかで

前立腺ガンは食事療法が効果を示しやすい
晩期ガンには食事療法しかない

と書いている。この内容を見て、「今の自分にぴったり」 これでいこうと決めた。
済陽氏は外科医で、今までに4,000以上のがん患者の手術を手がけてきた。ところが手術後の生存率が意外に低いことをみて、食事療法を考えつかれた。以下、前掲書から引用してみよう。
「ガンは手術、放射線、抗がん剤という三大療法だけでは治しきれないのではないかという考えに至り、ガンの治療に食事療法を取り入れ、なんとその有効率は6割を越える」。
「乳ガン、前立腺ガン、リンパ腫といったガンの中でも食事療法が効果を示しめしやすいものについては70%~75%の有効率となっている」。「つまり再発を含む進行ガンでもきちんと食事療法をおこなっていけば6~7割が改善する」とあった。

この本を読んで「治らないといわれたガンが治っているではないか」。ガンと戦える希望がわいてきたのである。

(二)済陽式ガンの食事療法の基本方針
ポイントだけ触れると次のようになる

(1)積極的にふんだんに取り入れたい食品=新鮮な野菜・果物
一日ジュースで1.5リットル+野菜350~500グラム+果物
(2)適量をとる食品=卵(良質のもの一日一個)、ヨーグルト(一日350~500グラム)
(3)少量なら可の食品=白身魚、サケ、青魚、甲殻類、貝類、脂肪分の少ない鶏肉
(4)極力減らすもの=塩分、脂肪(油脂)
(5)禁止の食品(少なくとも半年から一年)=ウシ、ブタ、ヒツジなど四足歩行動物の肉(赤身・脂肪とも)
(6)喫煙は禁止、飲酒は少なくとも半年から一年は禁止

塩大好き人間にはきつかった。
覚悟をして始めた済陽式ガンの食事療法ではあったが、「限りなく無塩に近い食生活」は、塩分大好き人間からすれば、かなりきつい食生活であった。
初めのころは、味気ない食事に泣きが入りそうだったが、家内がいろいろ工夫してくれたことで、一カ月ほどすると無塩に近い食事に慣れ、野菜の持っている味を楽しめるようになった。

(三)玄米が食べられない
 玄米はすこぶる評判が悪い。私自身も玄米は固くて食べにくいと思っていた。これはほとんどの人が、玄米に対して持っているイメージではないだろうか。
食事療法を決意して玄米を食べ始めたが、イメージどおりに固くて閉口した。後でわかったのだが、これは玄米のせいではなく炊き方の問題だった。
玄米が硬くて悩んでいたとき、思い切って雑炊にしてみたら、たいへん美味しく食べられた、その後試行錯誤の末、玄米を十分にカラいりして、水を多めにして炊くようにしたことから、玄米が美味しく食べられるようになった。

(四)無農薬
 済陽式ガンの食事療法では、無農薬か、少なくとも低農薬の野菜・果物を選ぶのが基本とあった。しかし、近所に無農薬野菜を取り扱う店がなかった。この本では「よく水洗い、しばらく水につけてから使うと、残留農薬を減らすのに役にたつ」とあったのでこれに従った。

(五)なぜ食事療法が続いたのか
 食事療法がなぜ続けられたのか。それは、他に治療法がなく、絶体絶命だったからだ。食事療法しかないので、これでいこうと心を決めていたのである。それと、家内が一緒に食事療法と同じ食事に切り替え、いろいろと美味しく食べられるように工夫してくれたことが大きかった。自分だけ一人で玄米をぼそぼそ食べていたら、今まで続いていたかわからない。今ではお腹がすいて毎日美味しく食べられるようになった。ありがたいことである。
 私の場合、最悪の状況にあったから済陽式食事療法よりさらに厳格に食事療法を実施したが、もう少し気楽に日本で昔から実施されている「まごわやさしい」(マメ、ゴマ、ワカメ=海藻、野菜、サシミ=魚、シイタケ=キノコ、イモ=芋)食事といった乗りのりでいいのかもしれない。

(六)食事療法に挑戦しよう
「塩なし、肉なし、魚なし、油・甘いものなくして、酒・タバコ厳禁」の食事です、と友達に話すと、自分にはできないと返事が返ってくる。みんな口には出さないが「まずそう」と思っている。友達だけでなく子供たち、親戚の全員がそう思っているのがわかった。
 私も泣きが入ったのは先に触れた。しかし一ヶ月続けると植物の本当の味がわかってきて、この食事が楽しくなる。挑戦するだけの価値があると私は断言したい。

205 ガンと戦うぞーセルフ治療ー

(一)自分の主治医は自分
 ガンと戦う「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」の最後は「セルフ治療」である。「セルフ治療」は、ガンを自分で治した医師の橋本豪氏が提案したものである。橋本氏は、一度ガンを克服したが再発し、再発したガンをどう克服したかを本に記している。『ガン治し本気塾』で私は多くの示唆を頂いた。そのいくつかをあげてみたい。
(410セルフ治療)
「玄米を食べていれば大丈夫、野菜ジュースを大量に飲んでいればガンが治る」と思ったら大間違いである。

「人生の主役は自分、だからこそ自分が病気と向かい合い自分自身で病気を治すリーダーになろう。自分の主治医は自分」

「自分がなぜガンになったのか、その原因を深く掘り下げて追究し総合的に改善していかなければならない」

「セルフ治療では食事、自律神経、およびメンタル(精神)という三つのフィールドで取り組むことを提案。どれかひとつではなく必ず三つのフィールドに総合的に取り組むことを心がけること」
(注)自律神経は意志とは無関係に内臓や血管の働きを支配している神経

橋本氏の提案は、ガンを克服してきた人の言葉だけに、すんなり気持ちの中にはいっていった。もちろん私としては、ガンを克服できるならなんでもやってみようという気持でいたことも事実である。
「セルフ治療」を順番に見ていくと

(二)メンタル(精神)分析の実践
 メンタル分析には二つある。一つは自分自身がガンになった原因分析、二つ目はガン克服のイメージトレーニングである。

(1)私自身のガンになった原因分析
私は、サラリーマン時代の仕事が楽しくて自分に適していると考えていた。しかし自己を分析した結果、仕事が強いストレスを生んでいたようだ。「自分の性格はストレスに弱い」「強いストレスを感じるたびにガン発症の原因になった」と整理した。
強いストレスは自律神経のバランスを乱す。事実、私は何回も腸がねじれるようなストレスを経験している。自律神経の乱れは、白血球のバランスを崩し、免疫力を低下させ、病気を発生させる。
ガンの原因を取り除くには、ストレスを取り除くか、ストレスに弱い性格を変える必要がある。それには考え方を変える、これまでの行動パターン・思考パターンを変えることだとわかった。具体的には自律神経のところで触れてみたい。

(2)イメージトレーニングの実践
①太陽に向かって手を広げ、朝日を浴びながら「私は宇宙の力でガンが治りました。今日一日の命ありがとうございます」と唱える。
②今日も生きていることを感謝し、その感謝の気持ちを言葉にして発した。
③夜、夜空の下で宇宙のエネルギーを感じながら、今日実践したことを振り返り「○○したからよくなった」と声を出して確認する。
④ガンのある部位に手をあてて「消えていく、消えていく」と唱える。

私はイメージトレーニングを毎日繰り返した。とくに、転移した股関節の周りが痛いとき、手を当てて「消えていく、消えていく」と唱えた。イメージトレーニングは非常に大切だし、その効果も大きいと思う。

(三)自律神経で実践したこと
 自律神経が乱れると病気になることは触れたが、「自立神経のバランスを整え、結果として血行をよくすることが自己治癒力を高め、ガンに打ち克つ」と橋本氏は述べている。
私が実行したこと、つまり「ストレス体質を改善する、血流をよくし穏やかな気持ちでいられるようにする」を次にまとめてみた。

① 乾布摩擦・ビン踏み、朝起きたとき乾布摩擦で血流をよくする。手の指、足の指のあいだもこするようにしている。竹踏みならぬ「ビン踏み」も血行促進に有効である。ビン踏みは踏み竹がないだけの話。
② テレビ体操・ストレッチ体操・真っ向法
③ 朝寝、昼寝:食事をした後身体を休める。寝るのは肺炎後身体が要求していたようだ。
④ 爪もみ:爪の生え際を強く押す。副交感神経を刺激しリラックスする。
⑤ 半身浴:冬のあいだ毎日。外に出られなかったので血流の促進、発汗促進を期待した。湯船には重曹を入れ、湯船につかっているときは上州の露天風呂を思い出して、あたかも上州にいるような雰囲気を味わっていた。
⑥ 腹式深呼吸
⑦ ウォーキング:食事療法をはじめて5ヶ月目の4月になってから始めた。はじめてから二週間たってから、ようやく汗が出るようになった。自律神経というのはなかなか微妙なものである。
⑧ 読書:兄が沢山本を送ってくれた。落語の本を読んだりして、楽しみながらの読書はリラックスする。
⑨ 情報断食:これは東日本大震災の後のこと、TVで報道される被害状況が見ていられなくなって、TVを切って見ないようにした。被災地の人にはまことに申し訳ないが、精神が耐えられなくなってしまった。意識的に情報を断つことを情報断食というのだそうだ。昨今、テレビを見ると暗いニュース、残虐なドラマがあふれている。だから私はほとんどテレビを見なくなってしまった。情報断食は積極的に取り入れたほうがいいように思う。

(四)食事
 食事療法について橋本氏は、「ガン細胞が好むものや、余分なエネルギーは極力ひかえ、ガンを兵糧攻めにする」と述べている。これはいただきのフレーズで食事療法の励みになった。
大量の野菜・果物を摂ることによって、ビタミン、ミネラル、酵素など必要な栄養素が補給できる。新鮮な野菜・果物による搾りたての生ジュースは、体内における吸収率が高く、野菜・果物の栄養素を効率よく摂取できる。消化酵素も豊富に含まれているので、消化のためのエネルギーを体内で作る必要がない。植物の持っている可能性は計り知れないと思った。

206 植物の力

植物中心の食事療法が、なぜ身体に効果的なのかいろいろ調べていくうちに、植物の持っている驚くべき力を知ることができた。順番に触れていきたいと思う。

(一)がん予防と植物性食品
 1990年アメリカの国立ガン研究所が「植物性食品がガンを予防する」という仮説を立ててプロジェクトを開始した。世界中の研究者がこのプロジェクトに参加し、どんな植物性食品がガンを予防する可能性が高いかを選定していった。
(411ガンとファイトケミカル参照)

 この研究過程で、植物に含まれる五大栄養素以外の化学物質が次々と発見されていった。緑黄色野菜だけでなく淡色野菜にも、白血球を活性化させ、ガン抑制効果や免疫力を高める効果などが見つかっている。植物由来の化学物質は、現在一万種以上見つかっている。これらの化学物質は、植物が紫外線や害虫、病原菌から身を守るために作り出してきたものであった。参考までに「にんにく」だけでも400以上の化学物質が見つかっているのである。

 植物由来のこれら化学物質は、生命を維持するために必要な栄養素としては、まだ分類されていない成分で、非栄養素=機能性成分ともいわれ、主に植物に含まれていることからギリシャ語で植物を意味するファイト・ケミカル(Phytochemicals=植物化学物質)あるいはファイト・ニュトリション(Phytonutrient=植物栄養素)と呼ばれているものである。 (412ファイトケミカル早見表参照)

 アメリカの国立ガン研究所は、膨大な量の疫学調査データを収集し、ガン予防に効果のある食品および食品成分約40種類をピックアップし、その重要性にあわせてピラミット型の図を作成した。40種類は三つのグループに分けられており、上段に行くほど効果が高い食品である。
(413デザイナーフーズプロジェクト参照)

第一のグループには、にんにく、キャベツ、大豆、にんじん、セロリ、生姜などがあり、
第二のグループには玉ねぎ、茶、玄米、全粒小麦、亜麻、柑橘系植物、ナス科植物(トマト、なす、ピーマン)、アブラナ科植物(ブロッコリー、カリフラワー)、
第三のグループにはメロン、オートムギ、キュウリ、ジャガイモ、大麦、ハーブ系植物、ベリー系植物)などであった。

よく知られた野菜・果物があげられている。
なじみの薄い西洋野菜とハーブを除けばごくごく身近な野菜・果物ばかりである。
日本人的感覚からいえば、なじみの薄い西洋野菜とハーブの代わりに「ゴマ、さつまいも、かぼちゃ、かぶ、大根、せり、にら、しそ、パセリ、わさび、ほうれん草」などが加わった日本版デザイナーフーズがあってもいいのではないかと思う。

207 植物その2

(一)ファイトケミカルは薬を超えるか
 『長生きしたければファイトケミカルを摂りなさい』(山崎正利著河出書房新社)によると「白血球の活性を高める野菜と果物」という図がある(十三図)。この図の中でキャベツ、ナス、大根、ほうれん草、キュウリなどの野菜が、インターフェロンやガンに用いられる免疫活性剤よりも白血球の活性を高めていることが明らかにされている。今後、研究が進めば、より詳しくファイトケミカルの持てる力が明らかになることを期待したい。
(414ファイトケミカルは薬を超えるか参照)

(二)ファイトケミカルは熱を加えても破壊されない
 インターネットを調べていたとき、「ファイトケミカルは加熱調理しても破壊されない」「煮ても焼いても、茹でても、揚げても、問題なく栄養摂取ができる」とあった(URL)。
 熱に弱い栄養素、消化酵素は生ジュースで摂り、熱を加えることでより効果的なファイトケミカルは野菜の煮汁で摂る。理想的な組み合わせだと思われた。
(414bファイトケミカルは加熱調理しても破壊されない参照)

(三)ファイトケミカルはごく普通の野菜・果物に含まれている
 丸元淑生(料理研究家)が触れている部分は以下のとおりである。

① 最もありふれた野菜と果物に、最も多く有効成分が含まれているという事実
② また、ありふれた野菜や果物ほど、含まれている(有効)成分の種類が多い
③ 珍重される食品や高価な食品でなく、ありふれた安い食品
④ でも何故、これらの食品に最も重要な植物栄養素が含まれているのだろう

丸元氏は考え方が逆で「なぜありふれたものになったのだろうか」と問うべきだといっている。「人類は経験的に、それらが重要な食品であると気づき、重要な農産物にしていった。原産地から世界中に伝播していって、どこでも手に入るありふれたものになった。重要だからこそ、主要な農産物になり、ありふれたものになったと考えるべきだ」と指摘している。
丸元氏の指摘のごとく、ごくありふれた野菜・果物の中にこそ本当の価値がある事実を、しっかりと認識する必要がある。
(415野菜別のファイトケミカル参照)

(四)ファイトケミカルが捨てられている
大根の葉、人参の葉は、スーパーでは捨てられていて、われわれには手に入らない。玄米も胚芽、糠が捨てられている。調べていくと、大変貴重なビタミン、ミネラル、植物繊維、植物栄養素が捨てられている。非常にもったいない話である。
ジャガイモの皮、人参の皮、りんごの皮なども捨てられている。皮の部分は栄養素が詰まっているところだから、わが家では良く洗って皮つきのまま料理している。

208 復活の軌跡

(一)歓喜の回復
 2011年4月20日、病院から4月9日におこなったPSA検査結果の連絡が入ることになっていた。医者からは「9時過ぎに連絡します」といわれていたが、9時を5分過ぎても連絡がないため、待ちきれずに病院に電話した。
「一島さんはホルモン療法が効くタイプです。PSAは2.50、前回より良くなっています」。医者からの報告を聞いた時、おもわず飛び上がるほど喜んでしまった。

食事療法を始めるときの目標が「PSAが4を切ること」だったが、この目標が食事療法を始めて5カ月目に達成したことになる。
「ガンは消えたのですか」と思わず医者に聞いてしまった。
医者は「ガンは眠っている状況です。ガンが治るということでなく、ガンを眠らせた状況を維持して10年から20年寿命を延ばせます」
「PSAマーカーが4以下は正常な人のこと、今回、数値は4以下だが、ガン患者の場合は判断基準にならない」という話だった。
ガンが消えたわけではないが、全身に転移していた進行ガンが、休眠状況に入ったことは嬉しいことである。これは、食事療法とホルモン療法の相乗効果によって達成されたわけである。

PSAの推移を振り返ってみよう。
2010年9月22日は721、
10月20日は786と絶望的な数値が続いた。
12月22日、食事療法を始めて42日目、ホルモン療法を始めて36日目、PSAは
97と二桁に大きく改善した。1カ月ちょっとという短期間に、786から97へ88%減と一挙に変化したのには驚かされた。この変化には、大いに勇気づけられた。

2011年1月19日、食事療法を始めて71目、ホルモン療法を始めて65日目のPSAは36とさらに大きく改善した。
4月9日、食事療法を始めて98目、ホルモン療法を始めて92日目のPSAは2.5。
一挙に一桁の下に来てしまった。
わずか100日足らずでこんな急激な変化を見たら、誰でも喜ばずにはいられないと思う。

(二)生活実感は二進一退一喜一憂
 ところでPSAマーカーは順調に推移していたが、生活実感としては劇的な改善というよりは二進一退、一喜一憂であった。

(1)痛むところが移動している
 先に触れたように、痛みが始まったのは2010年11月6日であった。直腸に突き上げるような痛み、太ももの裏側、右肋骨、右足坐骨あたりに痛みと違和感があり、歩行が不自由になった。この痛みは11月20日ごろまで続いた。
 一度収まった痛みが、11月29日には恥骨の左・足の付け根に腫れと痛みが移動した。この痛みは12月21日ごろまで続いた。痛くて眠れないときは、腫れたところに手を当てて「ガンがどんどんちいちゃくなる、ガンがどんどんちいちゃくなる」と唱えた。「どんどん」というリズム音が眠気を誘うのだろうか、いつしか眠りについた。それでも眠れないときもあって、そんなときには、クッションを背中にあて、これに寄りかかるようにして寝た。いくらか痛みが緩和されたようだ。

 1月14日からは、左肩のコリと右ひざに痛みがきた。肩コリは床に横になると痛くなる。眠れないくらいの痛みである。この痛みは、今までに体験した痛みとは違う。血流が悪いせいかと思い、寝る前に軽い柔軟体操をしてみたが、効果はなかった。結局、この肩コリは、4月に入ってからのウォーキング、鉄棒へのぶら下がり(足を着きながら)によってよくなった。
 私の実の姉が、肺ガンで苦しみながら亡くなっていくのを見ているだけに、他の人以上にガンの痛みに対する恐怖をもっているのかもしれない。さいわいにして、歩行に困難な痛み程度ですんだが、間歇的に痛みが移動するたびに不安にさいなまれた。

(2)はじめて手足の冷え症を体験
 肺炎が治りかけた12月中ごろから、手足の冷え症が出てきた。いままで経験したことがないことで戸惑った。これまでは、真冬でも足の先を布団から出して寝るくらい、足がいつも火照っていたのに、足が冷たくて眠れない。太ももに足先を当てて暖めてからでないと寝られない毎日だった。
この冷え症は3月の声を聞くころ消えていったが、冷え症と痛み、それにトイレに起きなければいけないと、この冬の間は散々だった。

(3)隔靴掻痒・これも春先まで続いた
 もうひとつ悩ましかったのは、物事がいつもぼんやりしていることであった。食器を片付けているときに、しっかり握っているはずが床に落として割ってしまうことが、再三あった。物を見ても、何かベールに覆われた感じがしていた。この感覚は冬の間続いたが、春になって徐々に薄皮がはがれるように消えていったのは助かった。

(4)髪の毛が黒くなる
 2011年2月になって、はっきりと髪の毛が変わったのがわかった。髪の毛が抜けなくなり、白い髪の毛が黒くなってきたし、禿げ上がっていたところに産毛が生えてきた。先に、アメリカでガン治療を行なった人の髪の毛が生えたことに触れたが、自分の体験からも追認できた。我がことながら驚いた。
 さらに驚いたことに、一緒に野菜ジュースを飲んでいる家内も、髪の毛が抜けなくなり、白い髪が黒くなってきた。お互い髪の毛を見ながら、黒くなったねと驚いている。家内は薬を飲んでいないから、薬が原因ではない。改めて野菜ジュース・食事療法の凄さを認めざるをえない。
細胞は3カ月で生まれ変わるといわれているが、髪の毛だけでなく、顔の皮膚が変わったのを感じる。土色だった皮膚が肌色を取り戻し、つやも出てきた。体中の細胞が生まれ変わってガンが消えていくのが目に見えるようで、鏡を見るのもうれしい毎日である。

(三)生かされていることに感謝
ガンとの闘病を経験して、自分は生かされていると感じている。

第一は、「全身に転移した進行性のガンだったため、ホルモン治療しか治療法がなかったこと」であった。
これは、多くのガン患者が経験する、抗ガン剤、放射線の副作用を味わわなくてもよいことを意味する。同時に、医者だけに頼らず、自分自身でも努力しようと覚悟が決まり、「ガンに克つセルフ治療」「食事療法」に打ち込むことができた。安保徹先生の「免疫学」関係の本を読むと、あらためて食事療法の効果に確信が持てた。

第二は、東日本大震災のときに感じた。書斎でパソコンをいじっていたが、地震の発生と同時に居間に移動した。そして、たまたまその日来ていた3歳の孫の手を握りながら、一緒に震えていた。
地震が静まって書斎をのぞくと、私の机の背後にあった二段重ねの本箱が落下し、本が散乱し、ガラスが割れ、カーテンレールが落ちているすさまじい状況であった。二段重ねの本棚の上段には、ボックスに入った重い本がつめてあったから、書斎にいれば間違いなくこれの直撃をくらっていて、TVに報道される事件になっていたかもしれない。まさに孫に、感謝、感謝である。生かされていると感じる出来事であった。

第三は、春とともにウォーキングができるようになったことである。冬のあいだ、肺炎で体力がなく、自宅にこもっていたが、PSAの改善と、体力の回復、気温の上昇によって、4月から歩けるようになった。萌えるような新緑に、おもわず生かされていると感じないわけにはいかない。
先の章で生活実感を述べたが、ガンとの闘病は決して順当にきたわけではない。惑わされる出来事も多くあった。だから、自分は生かされている、必ず治すという気持ちを持続し続けることが大切で、途中であきらめてはいけないと心に言い聞かせてきた。

 長男が2011年の東京マラソンに参加したが、そのトレーニングウエアを次男が作った。胸のところには「アキラめない」とある。「アキラ」は私の名前「晃」にちなんだもので、ガンとの戦いを「アキラめない」、また長男にはマラソンを最後まで「アキラめない」で完走するということをかけて作られたものある。
 長男が走っている時、沿道から何回も「アキラ、諦めるな!」と声援をかけられたという。私はこのシャツを着て、ガンとの戦いを「アキラめない」との思いでウォーキングに励んでいる。
後日長男から送られてきた写真には孫をふくむ長男家族全員が「アキラめない」のシャツを着ている。家族の絆を感じてしまう写真であった。
(423アキラめない写真参照)

422ウォーキングの楽しみ方
 ウォーキングの話が出たところで、少しウォーキングについて触れてみたい。家から西に500メートル行くと花見川サイクリングロードに出る。
4月にウォーキングを再開した時、長男の助言を入れて、歩き方を変えた。背筋を伸ばし、丹田に力を入れて、肘を後ろに大きく振る。こうするときれいな姿勢になり、つまずかなくなった。今までは、前かがみの前傾姿勢で、足をできるだけ前に出そうとしていたが、この姿勢だとよくけつまずいた。
毎日、同じような時間に歩いていると顔見知りができる。挨拶するのは気がひけるが、したしみをこめて「ニックネーム」をつけるのは楽しみである。
ウォーキングの楽しみの中に、囲碁仲間との出会いがある。4月、久しぶりに会った人から、最近見られませんが、仲間内では「碁敵と喧嘩でもしたんですかね」と話していたという。まことにけしからん噂話である。川柳にあるように「碁ガタキは憎しもにくし懐かしき」。それでも誘われると血が騒ぐ。もう少し気力(棋力?)が回復したら出かけていこうと思っている。 (2011.5.25記)

209 新たな挑戦

(一)禍福はあざなえる縄の如し
 食事療法を始めて八カ月目はいろいろなことがあった。
家内が自転車で転倒して骨折してしまった。野菜の買出しに出かけ、自転車の前と後ろの荷台に野菜を積み、さらにリュックサックに野菜をつめて背中に背負っていたが、バランスを崩して自転車ごと倒れた時に、股関節の骨頭のところを骨折してしまった。
 次男が一緒に買い物にいっていたので、すぐに緊急病院に連れて行くことができ、レントゲンの結果、市立青葉病院を紹介され救急車で転送、入院となった。
 二日後の手術には、長男と私が立ち会ったが、幸いなことに手術は軽く30分で済んだ。股関節という場所で心配したが、ボルト二本で固定する手術は、滞りなく時間通りにすんだ。家内は、手術後18日で退院することができた。これは大変に早い回復力といわれたようで、家内は食事療法によって、免疫力が高かったせいだといっている。

(二)主夫業でヘトヘト
 家内が入院して三日間でヘトヘトになった。朝は4時過ぎに三匹の猫に起こされ、野菜ジュース、食事、猫のトイレの始末、洗濯などなど、立ちっぱなしであった、結局、段取りが悪いのである。
季節は、ちょうど暑くなりはじめのころで、冬物衣料と夏物衣料の交替時期に当っていた。夏物がどこにしまわれているのか、かいもく見当がつかない。これには困った。息子のアドバイスで家内のケータイに自宅のパソコンからメールを送って情報交換ができるようになっていろいろ聞きながら一つひとつクリアしていった。家のことはすべて家内に任せていたので、突発的出来事が起こるとわからないことだらけである。
食事は何とかレシピを見ながら作ることができたし、横浜の友人から野菜宅急便、次男夫婦や家内の弟夫妻による野菜の買出しなどに助けられながら、なんとか18日間を乗り切ることができた。

そんな中での失敗談を二つほどあげておこう。
一つは玄米である。レシピを見ながら、水で洗い、フライパンで炒り、圧力釜に水をたっぷり入れて一晩つけておいた。翌朝、火をつけようとしてなべの蓋を開けると、なんと水がない。量を間違えたとあせり、水を追加したのが間違いの元。結局、炊きあがりは、お粥寸前の泡のように柔らかい玄米になってしまった。うろ覚えやレシピだけではだめで、身体で覚えていかなければならないと実感した次第である。
手術に立ち会った長男にこれを食べてもらったが、長男は人がいいからかカレー風味のスープのなかに玄米を入れて流し込んで食べていた。「美味しいよ」と言ってくれたが気の毒なことをしてしまった。

もう一つは卵である。スーパーで購入すると一パックが10個入っている。毎日一個ずつ食べていくと、後半、鮮度が落ちる。そこで5日ほどたった日に、残りの卵五つを茹で、卵の殻をむき、冷凍した。食べるときは、解凍して電子レンジで温めたのだが、これが水っぽいので参った。

(三)第一段階・ガンとの闘いに勝利宣言
家内の入院騒動でヘトヘトになっていたが、7月の検査でPSAがさらに改善した。

2010年9月22日    721
2010年10月20日   786
2010年12月22日    97
2011年1月19日     36
2011年4月13日      2.5
2011年7月6日       0.24
(その後の推移を追加)
2011年10月19日     0.022
2012年1月4日       0.008未満

 医者は7月の0.24の数値を見て、「ホルモン療法の効果が効いている。これだけ下がるのは珍しい、ガンが深い眠りに入っている。今後は、この状況を維持できるかの問題です」というコメントだった。これはうれしい知らせである。
「PSA0.2」というのは、前立腺ガンを手術した医師が、手術で取り残したガンや転移したガンがないかを判断する基準だそうだ。今回は、ほぼこの水準に達したわけだ。
「食事療法・野菜ジュースの凄さに万歳」である。

今までは、全身に転移しているガンの活動をいかに抑えるかという戦いであった。この目的は、ほぼ達した今、「ガンに克った」と自分勝手に勝利宣言をしたのである。

(四)ガンとの戦い・第二段階に入る
 これからは「5年生存率」に挑戦である。
私のように悪性の進行性ガンで全身に転移しているレベル「D2」の5年生存率は29パーセントと低いことは先に述べたが、一方で、ガンとの闘いに勝利した食事療法・野菜ジュースの効果の高さも実感している。
現在は、いままでの大幅マイナスからようやくゼロの段階まで押し戻した水準。大病しただけに身体は元に戻っていないが、少しずつあせらず頑張っていくつもりである。

もう一つの励ましは、同じマンションに住むKさんとの出会いである。Kさんは同じ病院で時々見かけたが、4月に思い切って話を聞いてみた。驚くことなかれ、彼は13年前、前立腺ガンに罹り、13年間、毎月、注射と薬のために通っていることがわかった。初めPSAが8ぐらいだったものが13までいったためホルモン療法を始めた。二カ月後PSAは0.2になって以後、安定し、再発もしていないという。
彼は現在82歳だから13年前は69歳、いまの私とほぼ同じ年齢である。きちんとガンと付き合えばKさんのように生きられるという啓示を受けたように思った。 (2011.7.10記)

210 ガン再発防止

野菜ジュース、野菜を中心とした食事療法によって第一段階、ガンの活動を征圧した。私は自分で「ガンに克った」と勝手に勝利宣言をしたのである。

2011年7月から2012年7月、この一年間は、ガンとの闘いの第二段階として「ガン再発防止」が中心的なテーマであった。ジュースは一日1700ccに減少したが、玄米菜食の食事療法は継続している。
PSAは0.008まで改善している。0.008という数値は計測できる限界の数値で、これ以上の数値はない、そんなところまでいったのである。
それでも「ガン再発」問題は解消しないのである。それだけガンは厄介な代物である。だからいつも気持ちの持ちようが大切なのだと自分に言い聞かせている。
(416ガン再発のイメージ参照)

(一)睾丸摘出
2011年9月に除睾手術を行った。理由は以下の三点である。
①     男性ホルモンを抑えるホルモン注射について、「効果の持続性」に対する疑問
②     ホルモン注射の副作用が、学会でいくつか報告されていること
③     注射の金額が高いこと

「効果の持続性」については、重要なポイントなので「みはま病院」の資料を掲載しよう。「腫瘍のタイプによるが1年から4年のあいだにはホルモン療法を行っても腫瘍細胞が増殖を開始します。このことを前立腺腫瘍細胞が再燃したといいます。こうなると腫瘍細胞の増殖を抑えることができなくなります」

主治医は、ホルモン注射より除睾手術のほうがガン再発の可能性は少ないし、副作用も少ない。また一回の注射代と手術費用が同じだと説明していた。
さらに主治医は身内の人には除睾手術のほうがいいと薦めていると話していた。
以上のことから、男性の象徴だからいささか抵抗はあったが、除睾手術に踏み切ることにした。

除睾手術によって前立腺ガンが必要としている男性ホルモンの95%は体内に供給されなくなった。残り5%につては抗男性ホルモン錠剤を飲んでいたが、2012年1月のPSAが0.008になった段階でこの抗男性ホルモン錠剤を中断することにした。
これは薬を中断することによって薬の効果を長引かせる効果がある治療法だそうだ。したがって、2012年に入ってからは抗男性ホルモン錠剤をまったく摂っていない。
ガンに限らず一般的に医薬品を飲み始めると,長期継続することになる。出費は累積すると馬鹿にならない金額になる。少しでも負担軽減になればと思い、参考までにジェネリック医薬品について触れて見た。
(417ジェネリック医薬品参照

誤解のないように触れておきたいが、医者や薬を否定しているわけではない、きちんと毎月、病院でPSAおよび血液中の男性ホルモンの検査を受けている。医者のアドバイスも聞いたうえで決めている。
主治医は私が悪性のガンだったこと、抗男性ホルモン錠剤を中断していることからガン再発について私に警告しているのである。
相手がガンだから、いくらPSAが0.008と計測できる上限に張り付いているとはいえ、医者から毎月顔を合わすたびに「いつ再発するか分からない、注意深く検査をしておきましょう」といわれれば心配である。

(二)サプリメント
そんな折、ガン仲間から「マイナス水素イオン」について紹介を受けた。ここで「マイナス水素イオン」について少し解説を加えておこう。
(418マイナス水素イオン参照)
(421酸化と還元と サプリメント2参照)
私自身、薬はできるだけ飲まないようにしてきたし、サプリメントも最小限にしてきたつもりである。
ところが、先に触れたように毎月医者からガン再発の警告をうけている身としては、何らかの対策をとりたいと思い「マイナス水素イオン」を飲むことにした。食事療法でも十分の効果があげられているがこれに「マイナス水素イオン」を加えることによって完璧にガン再発が防げると前向きに考えた。何しろ相手はガンである。
マイナス水素イオンはNHKニュース、NHKスペシャル、報道特集などメディアで紹介されているからご存知の方も多いと思う。

私はあまり知らなかったから五冊ほど関連した本を購入して読んだ。
臨床例はまだまだ少ないが実際に治療に使われた事例を見ると水素の可能性は高いと判断できた。また薬と違い副作用が無いことも魅力だった。 (2012.7.30記)

211 ガンと自然治癒力

(一)ガンとどう向き合うか
 ガンとどう向き合うかは、人によって様々である。私の場合、ガンの宣告をうけたとき、頭の中は真っ白になり、死に対する恐怖、これからの苦しい闘病生活を思い、思いっきり落ち込んだ。
ところが私の場合「晩期ガン」で選択肢が無かったし、残された時間も無かった。だから反骨精神と開き直りで「ガンとの闘い」が始まったのである。はじめはただただ夢中であった。そのうちPSAの結果が出てきて、確信に変わった。
ガンの三大療法が使えなくても、
全身に広がった晩期ガンでも
ガンは治るかもしれない」、少しずつ心に余裕ができてきた。

(二)ガン情報をどう選ぶか
  ガンに関する情報は巷にあふれている。まったく違った考え方があって、お互い専門用語が飛び交って専門外の一般人には判断に苦しむ。
ガンに関する本も沢山ある。どれを読んでいいか迷う。私は、済陽高穂医師、橋本豪医師、安保徹医師の本をまず基本において、つぎに「ガンは治る」を実践している書物を読むことを心がけた。たとえば、

『幸せはガンがくれた』川竹文夫著(創元社)は「ガンが治った」事例を12例掲載している。どの事例についても感銘を受けた。
『笑いの健康学』伊丹仁朗著(三省堂)はガン治療の最大の目的がキラー細胞を強くすることで、伊丹医師は笑いによってこの目的を達成しようとしている。

インターネットでも沢山のブログがある。中で勇気をくれたブログとして
伊藤勇氏の「がんを明るく生きる 末期がんより生還した伊藤勇の現在までの闘病記」が素晴らしかった。晩期ガンであった私は大いに勇気付けられた。
癌克人 松井清氏の「激痛が襲う末期ガンをいかに克服したか」も勇気づけられた。自分が実践してきた「食事療法」が正しいことが実証されている。

このほか沢山の事例があるが、知っていただきたいのは多くの人がガンを克服している事実である。いずれも私自身大いに啓発され、助けられ、参考になった。

(三)ガンを克服した人は何をしたか
① 食事療法 (ゲルソン療法、東城百合子)
② 心の持ち方、考え方がガンを治す
③ 仲間との付き合い(がん患者会)

ガン克服の手段はいろいろあるが共通しているのは、いずれも今までの生活習慣を変え、体の中の自然治癒力を高めている。
食事療法、心の持ち方・メンタルについてはすでに触れているので、ガンと闘う仲間たちとの交流について触れて見たい。
多くの人がガンの宣告を受けたあと、一人で落ち込んでいるように見受けられる。でも大切なことは多くのガンと闘っている仲間がいるということである。   このガン仲間との交流によって元気がいただけるのである。私自身多くのガン仲間からエネルギーをいただき自然治癒力を高めることができたと思う。私のブログでの情報発信も「ガンと闘う仲間」との相互助け合いとなっている。
なお、私は「がん患者会」のようなところには所属できなかった。普通の生活は問題ないが、前立腺肥大が継続していたから電車に乗ると緊張から急にトイレに行きたくなる、そんな不安を抱えていたから遠出はできなかった。

(四)ガン医療の現実について
 ガンが少し落ち着いてから読んだ本がある。日本のガン医療の現実を生々しく報じている。
医者としてガン医療の問題点を指摘した近藤誠医師。患者の立場に立ってガン医療の問題点を指摘した船瀬俊介氏(環境問題評論家)、なかなか参考になった。「ガン備忘録」で簡単にふれておいた。
(419近藤誠医師に学ぶ参照)
(420船瀬俊介氏の警告参照)
(2012.8.9記)

                  

212 小さい昆虫の贈り物

2013年夏の真っ盛り、3ヶ月検診があった。PSAは0.008、ガンの活動が停止していることを示している。
闘病生活が始まったころ、ベランダでアゲハ蝶の幼虫を見つけた。この小さな昆虫からもらった贈り物の話を紹介したい。

(一)闘病生活での出来事
 ガン闘病生活では思わざる出来事で勇気づけられた。なんとなく過ごしていると病気のことばかりを考えて滅入ってしまうものである。
 食事療法が始まってまもなく、転移したガンの影響で自分の身体でありながら自分の体でないようなそんなふわふわした状況のころだった。ベランダのパセリの鉢に蝶のキアゲハの幼虫を二匹見つけた。
 いつもなら見つかった瞬間に運命は定まっている幼虫、つまり「いもむし」だが、この時は近所に住む孫娘に「いもむし」を見せてあげようと思い、そのままにしておいた。毎日見ているとなかなか愛嬌があり、かわいいではないか。孫娘が来て、箸の先端で頭をチョンチョンと叩くと「いもむし」は怒って黄色い角を出し、上半身を立ち上げ、臭いを発している。われら人間を威嚇しているのだろう。そんな姿を見ていると、いつの間にか好きになってしまった。

 しばらくして一匹がいなくなった。翌日もう一匹がベランダの溝を歩いているところを家内が見つけた。家内は大きな声で「いもむしが家出している」「だめじゃない、ちょっとまちなさい」と言って「いもむし」をパセリの鉢に戻してやった。
 家内は「いもむし」がベランダの溝を歩いていた姿を見て、いかにも申し訳なさそうに「背中に唐草文様の風呂敷を背負って家出をしようとしている姿」に見えたそうだ。

(二)紙芝居「いもむしの家出」の誕生
 家内の「いもむしの家出」の話を聞いて、孫たちに「いもむしに家出」をテーマとした紙芝居を作ってみようと思いついた。道具は子供たちが小学生の時使っていた12色の色鉛筆である。色鉛筆が古くて悪いわけではないのだが、絵を描くのはほんとに久しぶりだからなかなか思うようには描けない。下絵を何枚も描いたり、ストーリーを変更したり、孫をどの場面に登場させるか、いろいろ考えていくと、実に楽しく闘病のことなど忘れて時間がすぐに経過していった。
 絵は下手でも孫が全員登場し、まあまあ面白く出来上がったと自画自賛している。孫たちに早く見せたくてワクワクしているうちに、段ボールで紙芝居を見せるスタンドも作ってしまった。

(三)いもむしの贈り物
 あとで思い返してみると、あの小さい「いもむし」から沢山の「贈り物」をもらったようだ。チョット整理して見ると
毎日「いもむし」を見ながらもらった楽しみ
紙芝居「いもむしの家出」を作りながら、実に楽しい時間をもてたこと
紙芝居「いもむしの家出」を孫たちに見せ、話をした時の生き生きとした反応
孫たちに爺(私のこと)の楽しい記憶を残すことができたこと

 紙芝居のエンディングは、春になってチョウがパセリに鉢に戻ってきたら「おかえり、といってあげようね」で終わっている。今、私の気持ちは「いもむし」を見ると、「おかえり、またきてね」である。「いもむし」とはガンと闘った戦友なのである。

(四)紙芝居で闘病生活も楽しい
 「いもむしの家出」のあと、紙芝居を作ることに味を占めて、毎年一作の紙芝居を作っている。
 闘病生活では十分な時間がある、紙芝居を作るには絶好の時間であった。紙芝居のおかげで、結構楽しみながら闘病生活を送れたように思う。 (2013.8.8記)

213 チョウが飛び立つ

(一)感動の一瞬
狭いベランダにあるレモンの植木鉢からアゲハチョウが飛び立っていった。ベランダで「いもむし」は「サナギ」になり、「チョウ」になったのである。
 私が朝のウオーキングから帰ってきて、ベランダにチョウを見に行くと、私を待っていたかのように羽根を広げ、飛び立っていった。
 あたかも「ありがとう」を言いたくて、私の帰りを待っていた。そんな気持ちが伝わってくるようで感動してしまった。
 
(二)チョウはレモンの木を知っている
食事療法でジュースを毎日飲み続けているとレモンの種が沢山でてくる。それをベランダにあった直径30cmぐらいの植木鉢に植えておいた。いつのまにか30-20cmぐらいに成長したところで、アゲハチョウの幼虫「いもむし」が来て食べ始めた。ものすごい食欲でレモンの葉は見る間に丸坊主になってしまった。そこで「いもむし」をレモンと同じ時期に植えておいたカボスの木に移してやった。幸いにして「いもむし」の食欲は落ちなかった。
 不思議なことにチョウはレモンの木には卵を産むのに、すぐ横にあるカボスの木には卵を産まないのである。私には同じ柑橘類で葉の形も殆ど同じに見える。レモンの木は葉っぱでもレモンの匂いがするが、チョウは匂いで植物の種類がわかるのだろうか。
「いもむし」は13日ぐらい過ぎると「サナギ」になった。「いもむし」から「サナギ」になったのを見たのははじめてである。毎日見ていたら10日目の早朝「サナギ」がねずみ色に変色していた。一時間ほどたった後、美しいチョウが誕生していたのである。飛び立ったのはこれからさらに3時間後のことであった

(三)「いもむし」は家族の一員
 今年の夏は四匹のアゲハチョウの「いもむし」が元気に育った。「いもむし」の呼び方は「いもむし」から「青むし」さらに「青ちゃん」と親しみをこめた呼び方に代わっていった。いまでは「いもむし」は完全に家族の一員である。
 サラリーマン時代は忙しい毎日で、チョウを見ている時間は無かったが、今は十分時間がある。一日何回も見ることができ、わが戦友を観察できるのが楽しみである。

(四)レモン屋敷の誘惑
 毎日野菜ジュースで発生するレモンの種をみていると、ベランダにあるいろいろな植木鉢にレモンの種を植えて、レモン屋敷にしたい誘惑に駆られる。
二年前「いもむし」から闘病生活中にもらった「贈り物」の恩返しができたらいいな、そんなことを考えながら、とりあえずプランタンの一つにレモンの種を七つほど植えてしまったのである。
 今年の夏は記録的な暑さであったが、「チョウが飛び立つ」はさわやかな夏の思い出になった。
2013.8.25記 (424飛び立つ寸前のアゲハチョウ)


214 ガン発覚から3年経過


(一)ガンを侮ってはいけない
 ガンとの付き合いも3年になる。長いようで短い時間であった。2012年1月以降、ガンのマーカーであるPSAは0.008未満を維持している。この22ヶ月間、ガンの活動は停止しているのである。これだけガンの活動が停止しているのであれば、ガンは「自然退縮」してしまったのではないかという人がいる。
 しかし残念ながら相手はガンである、そうは簡単にはいかないのである。私の知人にPSAが0.008未満を維持していた人がいた。この友人が二年経過したあと、リバウンドしたのである。ホルモン療法が効かなくなったのである。
 前立腺ガンは特殊なガンでホルモン療法が素晴らしい効果を示す。しかしホルモン療法を始めるとき、医師から「人によって違いがあるが1から4年経過するとホルモン療法が効かなくなる人もいる」という説明を受けていたはずである。薬の限界についても認識していたはずである。
ところがいざリバウンドが現実になって見ると、その落胆、衝撃は想像以上に大きいのである。ガンを侮ってはいけない。

(二)偶然も味方にしよう
 私は晩期ガンであったから、ホルモン療法を始めるにあたって3章から5章にかけて「ホップ、ステップ、ジャン」で述べたように、「ホルモン療法という薬」だけでなく、あらゆる手段によって身体の持っている「自己免疫力」を高めてきた。
あとで思い返して見ると、いくつかの偶然があったことも事実であった。
(1) ホルモン注射の翌日、肺炎で39度の高熱を発したこと
(2) 高熱によって食事が3日ほど摂れなかったこと
(3) 替わりに4500ccの大量のジュースを飲んだこと

「ガンが高熱に弱い」ことは知られている。肺炎による高熱は少なからずガンに有効だったと考えたい。また食事が摂れなかったことによって結果として「ガンを秤量攻めにできた」、さらに大量のジュースによって「ガン対する攻撃用の武器を補給し続ける」ことができた。偶然を味方にできたことは幸運であった。
PSAの数値だけから見るとわずか一ヶ月でガンの活動が88%減少したことになる(PSA786→97)。さらに大量のジュース(3800-3400cc)を摂ることによって四ヵ月後PSAは2.5と健常者の水準になった。ホルモン療法を開始した初期のころの偶然が思わぬ効果があったように私には思えるのである。

(三)再現できる偶然は生かす
 ところで三つの偶然のうち、高熱は再現できないが、断食と大量のジュース摂取は再現できることである。
現在、私の朝食は野菜ジュース、野菜サラダ、野菜スープすべて野菜である。玄米は朝食時には食べていない。主食の穀物を摂っていないので、しいて言えば半分断食のようなものと勝手にきめている。
大量のジュース摂取も意識をすれば可能であろう。せめてホルモン療法を始める初期のころには、ゲルソン療法の基準である3000ccは飲みたいものである。経験的に体調が良くなるとジュースは徐々に受け付けなくなる。ジュースが飲めるなら飲んだほうがいい、身体が要求しているのである。高熱の時4500ccというとてつもない量を飲むことができたが、明らかに身体が要求していたと思う。

(四)薬の限界を知り、自分なりの対策を
 先に触れた友人は野菜ジュースを飲んでいなかった。別の友達はジュースの量が少なかった。だからといって、人によって身体も違うし、ガンも違うだろう。だから「絶対これがいい方法」などというものは無いはずである。
私は3ヶ月に一回の定期健診の結果を主治医から電話で連絡を受けている。電話を待っている時の気持ちはいつも落ちつかない。リバウンドの不安である。
でも自分がリバウンドになった時は決して「アキラめない」と決めている。
「薬の限界」を知っていれば「自然治癒力」を高める方法は積極的にとりいれたい。その方法は人によって違っていい、自分にあった方法を見つけてみていいと思う。ゲルソン療法はその一つだが「食事は身体をつくる基本」からすると是非くわえてもらいたい選択肢である。 (2013.10.31)

215 一日一万歩

(一)ダビンチ手術
 2014年1月、3ヶ月検診があったが、何事も無く一安心である。
ところで最近の変化を触れると、ガン闘病3年が経過した昨年の11月ごろから朝の散歩時間が延びてきた。約2時間位になったのである。最近までいつも散歩の後半は疲れてきて、なかなか時間が延びなかったのである。

 私の友人に前立腺ガンでダビンチ全摘出手術をされた人が手術後、2ヶ月で長距離ジョギングを再開したと報告してきた。

 ダビンチ手術というのは「手術支援用ロボット」を使った手術である。医者は患者に触ることなく患部の立体画像を見ながら遠隔操作で自分の手指のようなアームを自由に操ることで手術をする画期的な手術手法である。患者から見ると出血が少ない、傷口が小さい、術後の痛みが少ない、回復が早いなど優れた利点がある。
ただダビンチ手術は、ガンが転移していると使えない手段である。

 それにしても、おなじ前立腺ガンでも私のように体力がある程度回復するのに3年もかかる人もいれば、この友人のようにわずか2ヶ月という人もいる、この差には驚かされる。つくづくガンというのは一筋縄ではいかないと思い知らされた。

(二)行動範囲が格段に拡大
 散歩時間が2時間になると行動範囲が広がり、一段と楽しみが増してくる。現在6つぐらいの散歩ルートがある。

・検見川神社―花見川コース
・浅間神社―マリンピア(イオンのスーパー)コース
・稲毛海浜公園「花の博物館」コース
・千葉マリンスタジアム(日本ハムのホームグラウンド)コース
・幕張イオンモールコース
・花見川―神田外語大学コース

 6つのルートにいくつかのオプションが加わるとさらにいろいろな変化に富んだ楽しみ方ができる。たとえば千葉中央卸売市場の散策、花見川の両岸散策、日本庭園の散策などなど。

 今年の冬は「ヒートテック」と「生姜」によって寒さに負けず頑張っている。「生姜」は乾燥させたものを一日三杯生姜湯にして飲んでいる、それと散歩に出かける前にはスライスした生姜を黒砂糖で煮込んだものを口にくわえて出かけている。血流が良くなり身体が温かくなるのがわかる。

(三)散歩道にトイレが重要
 散歩道を選ぶにあたっては「トイレが重要」である。相変わらずトイレに行きたくなると我慢ができなくなる。前立腺肥大は依然継続しているからだ。
 最近の神社のトイレはものすごくきれいになっている。これは助かる。またスーパーの食品売り場の開店時間が早くなっているのも助かる。このほかホテルのトイレ、飲食街のトイレ、公園のトイレのある場所を散歩道に選んでいる。

 ガンには有効だった「玄米菜食・野菜ジュース」は前立腺肥大には効果が無かった。なんにでも万能とはいかないものである。
 毎年冬になると就眠時間にトイレに起こされるのがつらいことである。前立腺肥大についてはいくつかの経験談を読んだがどうも決め手にはならなかった。もう一段試行錯誤が必要だと考えている。

(四)中国製「歩数計
 歩く距離が伸びたので遊び心に「歩数計」を買ってみた。ダイソー(百円ショップ)で購入したのが中国製だった。数日で狂いだし結局五個取り替えてもらったがまともなものは一つも無かった。中国製だからしょうがないか。連続して五個も不良品だったこともあったのであろうか「ダイソー」の売り場から「歩数計」が消えてしまった。

 櫻井よしこさんは「異形の大国 中国」(新潮文庫)という著書の中で中国のことについて「平気で歴史を捏造し、領土の拡大の野望を抱き、軍事力の強化に奔走し、環境汚染を撒き散らす。そして毒入り餃子事件ではなりふり構わぬ責任転嫁と開き直り」と厳しい見方をしており「彼らに心を許してはならない」とまで言っている。

 私は餃子事件が起こる前から中国産は安くても購入してこなかった。農薬問題に始まって、食の安全についてはまったく信用がもてないからである。今回の「歩数計」問題で私の中国に対しての不信感はより深まったようだ。

 散歩の話に戻ろう。いい加減な「歩数計」ではあるが、私の1kmの歩数はおおよそ1500歩、時速4kmとすると6,000歩である。1時間歩いても1万歩にははるかに届かない。「一日一万歩を歩きましょう」とよく医者は言うが、意識しないと一日一万歩は届かない歩数である。
(2014年1月25日 記)

(一)三年間の酷使に耐えた初代
 初代のジューサーは三年前、転移したガンの痛みをこらえて家内の肩につかまりながら買出しにいったのである。
それから三年、毎日数回、休むことなく活動してくれた。ところが三年も酷使するといろいろと不具合が出てくる。部品だけ交換するという選択肢もあったが、電気製品は一箇所不具合が出てくると次から次と出てくるものだ。
そこで買い替えを検討していた時に「Blendtec」に出会った。デモンストレーションを見て、その優れた機能を気に入ってしまった。ジューサーを購入するのに比べれば値段は高かったが、たまたま値引きをしている製品に出会って購入してしまった。(¥46800)

(二)二代目は優れもの
 この二代目はミキサー・ジューサー・フードプロセッサーの三役を合わせたような優れものである。
正確にはジューサーではない、ミキサーである。出来上がったものは「スムース」である。それをスプーンで食べている。
Blendtecの優れた点は
(1) ジューサーだと大量に発生した搾りかすが、すべてを使いきるから滓が出ない
(2) 野菜・果物の使用量が著しく減少した
(3) 粉砕能力を活用してお茶の葉を粉茶に、ゴマをすりゴマに、昆布を粉に多目的に使える
(4) 後片付けが簡単で助かっている

人参の使用量は初代ジューサーの一日2kgがBlendtecになって三分の一に減少している。キャベツ、玉ねぎも同じように減少している。重い野菜の買出しが減少することは助かる。しかも金額的にも助かっている。Blendtecは高い買い物だったが、もうコストは回収したと思う。
 カボス、柚子、レモンなど家庭で育った柑橘類を頂くことがある。農薬を使っていないので、これをよく洗って皮ごとBlendtecにかける。皮もあの硬い種も粉砕できるのには驚いた。種は最もエネルギーのあるところだから素晴らしいことである。

(三)贅沢な悩みもある
問題点は以前のジューサーだと大量に出ていた搾りかすを煮出して「ファイトケミカル」を摂っていたがこれが摂れなくなってしまったことである。
もう一つ滓が出なくなって煮だしができなくなったことで、野菜スープの味が味気なくなってしまったことである。
 何もかもうまくはいかないものである。強いていえば贅沢な悩みなのであろうか。

(四)いろいろ楽しみを見つけた
 お茶の好きな私にとって粉茶は予想外のことであった。抹茶とはいかないが抹茶もどきで楽しんでいる。なによりも今まで捨てていた茶葉も飲むことができる。カテキンを丸ごと摂っていると思うとなんとなく元気が出る。
 自家製のゴマ味噌、柚子味噌も作っている。食事にいろいろバラエティーができて楽しくなる。

 これからジューサーを購入される方、あるいはジューサーの更新を検討される人は一度この優れた製品を検討されることをお勧めしたい。 (2014.2.4記)
                                               200 ガン闘病記目次

217 気力と体力と~パソコン奮戦記 



(一)四年目の春
 2014年4月、3ヶ月検診は何事もなく経過した。闘病生活四年目の春である。歩く時間が延びたことは前回のブログで触れたが、これによって今まで気がつかなかったことが目に入ってきた。
 紅白の梅の花に始まり、カワズ桜、杏子、はくもくれん、こぶし、寒緋桜、彼岸桜、そして大島桜とソメイヨシノと続いている。
 低木でもまっしろな雪柳の花、レンギョウの黄色い花。世の中は花であふれているように感じる。
こぶしの街路樹が植えられている道も発見した。青い空に白いこぶしの花が生えて美しい。思わず「北国の春」(千昌夫)を口ずさんでしまった。
 この一年間を振り返ると確実に「気力と体力」が回復しているのがわかる。具体的に触れると一年前、新しいブログを作ろうという気持ちになった。
 きっかけは、これまでの「アキラめないー私のガン闘病記」を追加編集していくうちに三つの章が見られなくなってしまった。このブログは長男に作ってもらったが、長男も直すことができなかった
 そこで新しいブログを作ってみようという気持がわいてきたのである。今まではとても起きなかった気持ちであった。

(二)解体新書
 無謀にも決心してみたものの、「ブログを作る」ことががどんなものかまったくわからないではじめたわけである。
 まず、単語がわからない。サーバー、ブロバイダー、ドメイン、HTML、CSS。まず入り口からわからない。
 次にブログはHTMLという言語で書かれている。これを見たとき絶望してしまった。
まるで「解体新書」をはじめた杉田玄白、前野良沢みたいなものである。書かれていることがまるでわからない、どこから手をつけていいのかもまるでわからない。
 この段階ではほとんど絶望的であった。でもやっぱり新しいブログを作りたいという一心で、、もう一度気を取り直し、インターネットで「ホームページを作る簡単作成講座」というのを見つけ、何回も何回も繰り返して読んでみた。わからない単語も一字ずつインターネットで調べていった。
 これと平行して日本語の文章のほうも作りこんでいった。「アキラめない」を生かしながら、より読みやすくするように心がけた。
 文章の構成、図表、HTML,CSS、基本となる素材がそろったところで長男に見てもらった。HTMLの修正とGOOGLに接続するところまではやってもらった。
これで新しく作ったブログ、「晩期ガンからの生還ー私のガン闘病記」がインターネットで見られる最低条件が整ったことになった。

 文章の貼り付け、図表の貼り付け、文字の大きさの変更、リンクの張り方などをインターネットで調べながら、あるいは長男に聞きながら悪戦苦闘のなかで進めていった。
 どうしても図表がきれいにならない。そこでインターネットで「Irfan」という画像ソフトが紹介されていたのでこれをダウンロードしたが画像はきれいにならなかった。ダウンロードの過程でダウンロードのやり方がよくわからない。ついついボタンをいくつか押してしまった。

(三)無料ソフトに気をつけろ
 「 Irfan」をダウンロードした後、パソコンが著しく遅くなってしまった。画面が時に予期しない画面が出てきてしまう、あるいは画面が変わってしまう(乗っ取られる)。これには大いに悩まされた。    無料ソフトをダウンロードするときに、詐欺ソフトがくっついていて一緒にダウンロードしてしまったようだ。当初は原因がわからず、インターネットで調べたところ詐欺ソフトなどが問題だということがわかってきた。
 パソコンのソフトを一つ一つインターネットで調べ、怪しいソフトは削除していった。なかなか削除できないものもあった。時間がかかったがすべて削除することができた。無料ソフトはよほど注意深く取り扱わないと、トラブルも一緒に抱え込むことになる。
 
 いくつかのトラブルがあったが何とかクリアーすることができた。新しいブログについては、まだまだ直したいところがある。たとえば、①字が大きくならない、②画像がきれいにならない、③新しいブログを追加するとき前に設定したリンクが崩れてしまう、などなどがある。ただブログが書かれている前半の文(HTML)を見ても皆目わからない。これ以上いじるとまた見られなくなるのではないかと不安に思い、この段階で一般公開することにした。現在の私の知識ではここまでが限度のようである。

(四)WindowsXPの4月6日問題
 パソコン奮戦記の次の問題は、マイクロソフト社が古いパソコンソフトをサポートしなくなるということである。4月6日と報道されているが、サポートしなくなると具体的にどういう問題が起こるのかはよくわからない。ただ私の使っているパソコンはその対象になっている。新しいパソコンを購入することを検討したが、家内のパソコンがあまり使ってないようなので間借りさせてもらうことにした。一台のパソコンをアカウントを別にして二人で使えるようにしたのである。
 パソコンはWindows7である。仕様が違うので簡単なことでもよくわからない。ここでもわからないことだらけで試行錯誤の繰り返しであった。ここまでくると、もし不具合で動かなくなくなったらはじめからインストールすると覚悟を決めた。開き直りである。
 パソコンを変えるにあたってはメールアドレスも変更した。これはなかなか厄介であった。この問題はまだ継続しているが大きな山は越えたようだ。

(五)古希でも挑戦できる
 今年の春、古希の誕生日を迎えることができた。四年前晩期ガンを告知されたとき「古希」という言葉すら頭に浮かばなかった。
 「人生七十古来稀なり」(杜甫)(人の一生は短いもので、七十歳まで生きる者は昔から少ない)
(426 ノルディックウオーク)

 昔と比べて現代は寿命が延びている。ただこれは他人の話で、私の場合、一度は晩期ガンであきらめかけた命であった。その後の回復で頂いた命とおもい、感謝してパソコンに挑戦してみた。試行錯誤の繰り返しであったが曲がりなりにも「新しいブログ」を作ることができた。「七十にして挑戦」、年齢のハンディキャップはあったが挑戦してみるものである。

(2014年4月22日 記) 

晩期ガン発覚から四年が経過した。2014年12月、3ヶ月検診はPSAが0.010となった。約三年ぶりに計測可能な数値になったのである。  主治医は数値がきわめて微量であり心配ないといっていた。それでも約3年間PSAが0.008未満、つまり計測不可能な状況を維持してきたのであるから、ちょっと残念な気持ちである。  
 メールで知り合った前立腺ガンの仲間の中ではPSAが0.008未満を長らく維持していながらリバウンドしているケースが時々見られる。それだけガンは厄介な代物である。

ところで検査結果の数値に変化があったが、体調は順調である。顔色もつやがあって健康体の顔である。 朝起きて、冷水摩擦、テレビ体操と柔軟体操、ノルディックウオーキングと結構忙しく過している。人混みの多いところは避けて風邪などうつらないようにも気を使っている。免疫力が落ちることはできるだけ避けたいのである。  
 それでも3ヶ月に一遍は検査のために病院にいかなければならない。病院の混雑は加速しているようだ。同じ時間に家を出ても診察の順番はずいぶんと遅くなっている。それだけ高齢者が増えてきたということであろうか。

  (二)颯爽と歩こう  
 ノルディクウオーキングを始めてから背筋をまっすぐにして颯爽と歩くように心がけている。病気をしてから三回も転倒しているから転倒しないように心がけているのだが、年齢を重ねた人の歩き方を見ていると前かがみで、地面を覗き込むような姿勢で歩いている人が多い。見ていてあまり格好のいいものでははい。
 そこで自分だけは格好良く背筋を真っ直ぐにして颯爽と歩くようにしている。朝の太陽を浴びながら颯爽と歩いていると、気分もさわやかになり歩くのが楽しくなる。ちょっとしたことで人の気持ちは変わるものである。  この颯爽とした歩き方は荻原健二がテレビで模範としていた歩き方をまねたものである。(荻原健二 ノルディックスキー総合でオリンピック・ゴールドメダリスト)

  (三)妖精達の径   
 もう一つ歩きながらの楽しみは、道なりに変化する景色を楽しめるからである。私が住むところは埋立地で高速道路の脇に緩衝林がある。高速道路と反対側には学校のグラウンドがあり、きれいに刈り取られた芝生が緩衝林に接続している。この緩衝林の中を私は勝手に散歩道にしている。
 私が歩いている緩衝林は一般道路で三つに分かれているが、それぞれに特徴があり私は次のように名づけている。
 「意地悪な妖精達の途」
 「妖精舞踏会の途」
 「妖精お城の石畳の途」

「意地悪な妖精達の途」は、木の根っこが飛び出している非常に歩きにくいところだ。埋立地で根っ子が地面深く伸びるのでなく横に伸びているためである。木漏れ日の林の中は幻想的でつい見とれてしまいたくなるが、景色に気をとられているとけつまずきやすい。けつまずくと、意地悪な妖精達が喜んでいる?。そんな雰囲気の場所である。

「妖精舞踏会の途」は、ぽっかりと日が差し込む場所がある。日差しが差し込んだ円形の場所は木の葉っぱが太陽に輝き、妖精達が踊っているような幻想的な美しい広場である。

「妖精お城の石畳の途」は偶然林の中で石畳を見つけた。枯葉と泥に埋もれていた敷石を偶然見つけたとき、何か古墳を発見したような興奮を覚えた。枯葉と泥を少しどかして見ると、飛び飛びだった敷石がつながり、そこに敷石の途が現れたのである。これはお城につながる石畳に違いない。勝手に想像を働かせている。

(四)自然との共存・ガンとの共存
 妖精の途には、自然があふれている。くもの巣、やぶ蚊の群れ、毛虫、小鳥たちのさえずり、カラスの驚かす声、木の枝は伸び放題、枯葉は途を覆っている。ここは生き物たちの世界で人間は邪魔をしてはいけないのだろう。美しい自然と共存できればこんな素晴らしいことはない。
 ところがなかなかそうはいかない、東京代々木公園でデング熱が発生したとき、蚊を退治するために殺虫剤がまかれた。私の住むマンションでも年に数回殺虫剤がまかれる、毛虫対策である。安易に殺虫剤をまくことは生態系を破壊する。
 蝶やせみ、すずめがえらく少なくなったように感じる今日この頃である。「沈黙の春」(レイチェル・カーソン著)を思い浮かべてしまう。
 「自然との共存」と同じように「ガンとの共存」もなかなか難しい。 今年九月、前立腺ガンの新しい抗がん剤を使用した患者の5人が亡くなったときく。ガンの三大治療法は確実に進歩しているがまだまだガンを撲滅する有効な手段とはいえないようだ。三大治療法はこれはこれで大切なことだと思うが、ガンとの共存という道もあっていいのではないだろうか。
 世界にはガンの発症率が 極めて低い場所があるという。ガンと共存していくためにはこれらの地域でどんな食事をしているのか、国を挙げて研究する必要があるとおもう。  ガンに罹患しても食事療法の有効性が証明されればガンと共存が選択できることになり、多くの人々を救うことにならないだろうか。
  私は晩期ガンであったからガンの三大治療法は使えなかった。そのかわり食事療法でガンとの共存をしてきた。今回の検査でPSAが0.010と微量だが検出されたわけだが、これからも食事療法でガンと、どう共存していくか報告していきたい。
(2014.12.26記)
                                        

 

(一)五年生存を達成

ガンが発覚して五年が経過した。五年生存率といわれるように一つの区切りを超えた。大変嬉しいことである。
五年前、晩期ガンと告知され、全身に痛みが走り、歩くのも、寝るのも大変だったことを思い出す。
医者からはガンの三大療法(手術、放射線、抗ガン剤)は使えない状況だといわれた。
「痛みがひどくなったらモルヒネがありますから」
という説明を聞きながら絶望的な崖っぷちに立たされていたことを思い出す。
おそらく、多くの晩期ガン患者が直面する状況であろう。
そして多くの人が肩を落とし落ち込んでしまうと聞く。

でも、私はそんな状況から立ち直っている。今は.痛みもなく健常者と変わらない生活をしている。
ぜひ晩期ガン患者の方は希望を持ってほしいと願っている。私の経験はほんの一例に過ぎないが、多くの人が晩期ガンをいろいろなやり方で克服している事実を知ってほしい。


(二)検査数値はすこしづづ上昇

もちろん、ガンとの闘いは一筋縄ではいかない、試行錯誤である。前章で触れたように四年目にはいった時、PSAは0.010 と検知できる数値になった。それまでの三年間は0.008未満 といって検知不可能な数値だった。ガン患者なら誰もが懸念するリバウンドである。だから少しがっかりしたわけである。
三ヶ月に一回定期健診を受けているが、直近九月の検診では0.027 とまたわずかに上昇が続いている。(300 PSAの推移参照)
主治医は検出された数値は微々たるものだが数値が右上がりを続け、二年でほぼ倍になっている点を気にしていた。


(三)一日断食やるぞ

定期健診の数値が二回連続上昇したのを受けて、今までやっていなかった自己免疫力を高める方法を考えてみた。
すぐに頭に浮かんだのは「断食」であった。家内も同じことを考えていたみたいで、すぐに実施することしした。病気をしてから体にいいことはすぐに実行するのが我が家の決まりである。

断食は日曜日と決めた。
朝は野菜果物のムース500ccとサプリメント。夕方に朝と同じ野菜果物のムース500ccとサプリメント。
いつものようにラジオ体操のあとは朝のウオーキング。昼はNHKの「囲碁講座」、風呂に入る。水分はこまめに補給している。
翌日の朝が楽しみである。玄米のお粥、卵が入っていたり、サツマイモが入っていたり、鰹節をふりかけたりと適当であるがどれを食べてもおいしく感じる。これは至福のときである。

断食の効果についてはいろんな人は述べれいる。(以下「食べない人は病気にならない」山田豊文著から抜粋)
古くは、釈迦、キリストが病気を治すには断食といっている。
断食によって休んだ消化器系の働きが高まり、腸内環境が整い免疫力が高まる。食べることをいったん止めれば体内のすべての組織や器官にエネルギーがみなぎり自然治癒力が高まり、痛んだ細胞の修復や再生が活発に行われる。

断食の朝と夕方は「野菜ジュース(ムース)とサプリメント」を摂っている。これは野菜果物の酵素とビタミン、ミネラル、およびサプイメントのビタミン、サプリメントによって細胞の修復や再生を助けるからである。この方法は多くのガン・クリニックで採用されている。

野生の動物は怪我をしたり病気になると食事も取らずにじっとうずくまって治してしまう。自然に備わった自然治癒力というのはすごいものである。
先日TVで、動物園のライオンの一週間のメニューには一日だけ×印がある。その日は狩に失敗して食べ物がない日だそうだ。この空腹によって野生動物の活力を忘れないようにしているそうである。
人間も時に「断食」によって自然に備わった自然治癒力を呼び覚ましたいものである。


(四)新たな五年に挑戦

今までの五年間、前半の二年間はかなり勉強した。ガンと闘いをどうするか試行錯誤の時期であった。そんななかで、
「あせらず、怖がらず、ぼちぼち行こう」(中山武さん)
「元気に、楽しく、感謝し、幸せを感じながら生きよう。ガンになったらぼちぼち治していこうや、ガンちゃん!」(伊藤勇さん)
ガンを克服してきた先人たちの言葉に出会い、ガンは治る病気だとわかって生き方が変わった。

さて、これからの「新たな五年間」はある意味経験してきた道であるが、ガンとの共存は何が出てくるかわからない。そんな時は先人たちの言葉を思い出していくつもりである。

ところで、最近読んだ本で考えさせられる本が二冊あった。「新たな五年間」にも関係してくる本であろう。

一冊目は、「寄生虫なき病」(モイゼス・ベラスケス=マノフ著)
この本は非常の恐ろしい本で、すでに始まっている近未来を予測している本である。
最近、感染症(ハシカ、おたふく風邪、結核、A型肝炎)が減少するにつれ、免疫関連疾患(喘息、Ⅰ型糖尿病、多発性硬化症、クローン病)が急増している。グラフを描くときれいな逆相関がみられる。
免疫系疾患というのは免疫系の原因不明の暴走をいい、「アレルギー疾患」と「自己免疫疾患」がある。
「アレルギー疾患」(スギ花粉、チリダニ、食物アレルギー、喘息)は無害なアレル源物質に対する免疫系の過剰反応
「自己免疫疾患」(炎症性腸疾患(=クローン病)膠原病)は自己の組織を免疫系がなぜか攻撃してしまう。

著者は「何百万年ものあいだ共存するうちに人間の免疫系は寄生虫(細菌、ウイルスを含めた寄生生物)の存在に順応し、さらにはそれに依存するようにさえなってしまった。だから20世紀になって寄生虫が突然消えてしまったことで免疫系がバランスを、失ってしまった」
「免疫系は本来、微生物や寄生虫がうようよしている不潔な環境に立ち向かうために進化してきた。本来立ち向かうべき環境に出会えないことで免疫系は混乱し、免疫系の制御機能を阻害してしまった」
そして「この内なる生態系の崩壊こそ現代の難病の根本原因である」と結論づけている。
著者は自らも自己免疫疾患を患らい、ついには自ら寄生虫を腸内に感染させる治療法に挑んでいる。

恐るべき時代を迎えようとしていると私は戦慄を覚えてならない。厚生労働省、医師、製薬会社の関係者はぜひ読んでもらいたい本である。抗生物質を使えば大丈夫という時代は過ぎた。
これからの人類は「寄生生物との共存」という困難な課題に挑まなければならないだろう。この困難な課題に「ガンとの共存」も加えてもらいたいものである。

もう一冊の本は、「脳は奇跡を起こす」(ノーマン・ドイジ著)である。
この本は、「脳機能は使わなければ失われる。85歳でアルツハイマー病にかかる確率は47%である。加齢により脳内の物理的、科学的変化を阻止しようとして薬が処方されるが薬の効果は4から6ヶ月しか持たない。脳は使わなければだんだんと萎縮している。
著者は、年を取ってから外国語を学ぶことは、脳の記憶力を向上させ維持するのに最も適した方法である。集中しなければならないし(脳の)可塑性のコントロールシステムのスイッチが入る。」と書いている
そして、「高い集中力を必要とすることならなんでもいい」。とも書いている。

ということは、私はこれからもっと脳を使かえば「ボケなくてすむ」ということか?、頑張ろう!
「ヘボ碁」をもっとまじめに学ぶことにしよう。
とはいってもNHKの「囲碁講座」はいつも睡眠学習になってしまう。困ったことだ。



200 ガン闘病記目次

220 あらすじ~五年の歳月


ガン発覚から五年が経過したとき、友人から今までの経緯をまとめてみないか、という誘いを受けた。
いままで「闘病記」は19回発表してきたが、だいぶ長くなった。ここいらで中締めとして「あらすじ~五年の歳月」をまとめてみようと思った。講演形式で20分ぐらいとした。私が述べたいことはあらかた入っていると思う。

みなさん、こんにちは。一島 アキラと申します。
これから「晩期ガンからの生還」・アキラめない私のガン闘病記」を話します。大雑把に四つのポイントに分けて話します。

(一) 絶望的な断崖絶壁に立たされていた
(二) ガンと闘うぞ「ホップ・ステップ・ジャンプ」
(三) 自然の恵み「植物の驚くべき力」
(四) 「アキラめない」

私は、前立腺ガンでしたが、ほかのガンの方にも参考になる話だと思います。「ガンと闘う戦友」として参考にしていただければ幸いです。


(一) 絶望的な断崖絶壁に立たされていた

いま私は、普通の方と変わらない生活をしていますが、五年前は大変でした。
私のガンが発覚したとき、すでに全身に転移していました。すぐに転移していたところが痛みだし
歩くのも家内の肩につかまり、寝るときは痛くて背中にクッションを置いて斜めになって寝ていました。足が冷たくて寝られない状況も続きました。

主治医は「ガンが全身に転移している「晩期ガン」で、ガンの三大療法つまり手術、放射線、抗ガン剤が使えない。ただし前立腺ガンは特殊なガンで男性ホルモンがないと生きられない。そこで、ホルモン療法でいきましょう」、といわれたのです。
ところが続きがあって、注意事項として「ホルモン療法」は人よっては、1年~4年で効果がなくなり、その後はガンの増殖をとめられないという指摘があったのです。ホルモン療法も万能ではないのです。

後で知ったことですが、前立腺ガンは早期発見の場合、治癒率が高いのですが、私のように全身に転移した晩期ガンの五年生存率は29%と大きく低下するのです。
ガンの三大療法が使えない、ホルモン療法もいつ効果がなくなるかわからない。痛みがひどくなるなか、先が見えない絶望的な断崖絶壁に立たされていたのです。
そして、そこから手探りのガンとの闘いが始まったのです。

(二) ガンと闘うぞ「ホップ・ステップ・ジャンプ」

絶望的状況の中で、なんとしても痛みを軽減したい、できればガンを克服したい気持ちが強くなったのです。
そんななかで、命を救った本との出会いがあります。三つだけあげますと
その一つは、済陽高穂医師の「今あるガンが消えていく食事」
その一つは、橋本豪医師の「ガンを自分で治した医師の「ガン治し」本気塾」
そしてもう一つは、安保徹先生の「免疫」に関する本です。
このほか沢山の本の中からガンに克、「ホップ・スッテップ・ジャンプ」をみつけたました。

ホップは「ジュース療法」
ステップは「食事療法」
ジャンプは「セルフ治療」
です。

ジュース療法は、一日3000ccを基本とし、多いときで4000ccを超えて飲んでいました。これは、並みの量ではありません。

食事療法は 「塩なし、肉なし、魚なし、油なし、砂糖なし、酒・タバコ厳禁」 徹底的におこないました。これを人に話しますと ほとんどの人が「私には出来ない」といいます。でも私は断崖絶壁に立たされていてほかの選択肢がなかったのです。
食事療法の原則は、「玄米」プラス「マゴワヤサシイ」、という昔からある食事です。
私が美味しいと思う食事はガンも好きな食事です。ですからガンを食事療法で兵糧攻めにしたのです。

セルフ治療は自律神経のバランス、およびイメージトレーニングです。
イメージトレーニングを補足しましょう。まえに食事療法のところで「ガンを兵糧攻めにする」と話しました。これをイメージしてみてください。私だったら兵糧攻めでガンがどんどん小さくなったとイメージします。ガンがどんどん小さくなった、ガンがどんどん小さくなったと声にも出します。うれしいですね。
イメージトレーニングは、いつでも、どこでもできます。しかもただです。

このように、ガンとの闘いはあらゆるものを動員して総合的に戦わなくてはならないのです。一つだけではダメです。その司令官は自分自身です。橋本医師は「自分の主治医は自分」と述べています。これはいただきのフレーズですぐに私も「自分の主治医は自分」と決めました。

「ホップ・ステップ・ジャンプ」の成果には驚かされました。
ガンとの闘いの経緯を述べますと、絶望的だった検査数値が一年四ヶ月で計測できなくなりました。ガンが休眠状態に入ったのです。主治医はこの結果に驚いていました。
この状況が約三年弱続いた後、四年目に入ったところで、ほんのわずかですが再び検査数値が計測されるようになりました。リバウンドですね。ガンは一筋縄ではいかないものです。少しがっかりしましたがあわてません。今までの経験を生かして対応しています。詳しくはいずれブログでお知らせいたします。

(三) 自然の恵み「植物の驚くべき力」

私のガンとの戦いは原則「ゲルソン療法」です。
ゲルソン博士は「病気の原因は栄養バランスの崩れにあり、過剰に摂っている食事を修正し、野菜・果物を沢山摂ることで現代人の崩れた栄養バランスを回復する」という考え方です。

植物には驚くべき力があります。植物はビタミン・ミネラルだけではありません。ビタミン・ミネラル以外で植物のよく知られている栄養素は、赤ワインのポリフェノール、トマトのリコペン、大豆のイソフラボン、ゴマのセサミンなどよく知られていますがですが、近年次々と新しい栄養素が発見され、その数10,000を超えてきています。それらは植物の持ついまだ分類されていない栄養素として「ファイトケミカル」あるいは「ファイトニュートリション」といわれているものです。その中にガンと闘うファイトケミカルがあるのです。たとえば

・抗酸化作用を持つファイトケミカル
・免疫力を高めるファイトケミカル
・抗ガン作用を持つファイトケミカル

ありがたいことに、つぎつぎに注目すべきファイトケミカルが発見されているのです。
しかもごくごくありふれた野菜・果物の中に重要なファイトケミカルが見つかっているのです。決して値段の高い野菜・果物ではない点に注目していただきたいのです。
安くて、身近で手に入り、ガンに効果が認められている植物の力を利用しない手はないのです。

ところで、残念なことに日本では野菜の消費量が減少しています。因果関係はまだわかりませんが、反対に増加しているのが、ガンを含む生活習慣病です。日本人はいま、健康な体を作るために「野菜の力」を使って食生活を改善しなければならない重要な岐路に立たされている」と私は考えます。このことは、自分が病気になって特に感じている点です。

(四) 「アキラめない」

ガンは人によって違います。他人が治ったから自分も同じ方法でガンが治ると考えるほどガンは簡単ではないのです。
一方で、私はガンになってからいろいろの人の闘病記を読みました。そして多くの人がいろいろな手段でガンを克服している事実も知りました。ガンは簡単ではないが「共存できる病気」だと理解したのです。

みなさんが、いろいろな人の経験談を読まれ、そして、自分ならどうしたいのか決めてください。他人が決めることではありません。自分の人生ですから自分で決めるのです。
私は「アキラめない」と決めたのです。「アキラめない」と決めたことで、体の中から力が湧いてきたし、偶然も味方してくれました。そしてやるからには徹底しました。

なお、亡くなった人の「闘病記」は読んではいけません。いま必要なのは、静に死ぬイメージでなく、生きることに意識を集中することなのです。

「そうはいっても」、といわれる方が多いと思います。「晩期ガンと告知」されたとき私の頭のなかは真っ白になりました。多くの「晩期ガン」の人も私と同じでしょう。そして絶望のどん底に落ち希望を失っていると聞きます。でも決して「アキラめない」でください。

インターネットで
「アキラめない」を検索してください。一番上に出ています、
その下に「晩期ガンからの生還」があります。この二つは私のブログです。「アキラめない」を追加更新しているうちに更新が出来なくなっためです、そこで読みやすく編集して「晩期ガンからの生還」に切り替えました。ぜひ開いてみてください。
「晩期ガン」の告知からの五年間の記録です。沢山のヒントがあるはずです。

繰り返しますが、ガンと闘いは決して「アキラ」めてはいけません。
「ガンと闘う仲間」としてご一緒に頑張りましょう。

(ガンと闘う仲間より)(2015.12.21記)

半年振りにブログを更新している。前にも触れたがパソコンの技術が追いつかないため更新するときに、いままでのリンクが崩れてしまう。これを元の戻すのが大変でついつい億劫になって更新していないのである。
もうひとつ、ブログをお読みいただいた方からご連絡をいただいているのですが、返信の仕方が良くわからないため返信していません、技術が未熟でご勘弁いただけますようよろしくご理解ください。

さて、PSAの結果であるが、2016.5.11の検査結果は0.079、前回の検査数値0.074(16.2.17)とほぼ変わらない水準を維持することができた。この結果には自分としては満足している。リバウンドした後、少しずつ数値が上昇していただけに、今回ほぼ横ばいの数値にとどまっていたからである。
 ところが主治医は数値を見て「治療を必要としないのでしたら、別の病院を紹介します」、近隣の病院のパンフレットを手渡しながら「PSAの検査だけでしたらきちんとやってくれる病院です」「みはま病院は治療を必要としている患者が沢山いますから」 といわれたのです。

何か違和感を感じながら病院を後にした。
前回の検査のとき、主治医は「精密検査を受けたらどうですか」といっていた。これに対し私は、「検査数値はきわめて低い水準で、検査しても画面に出てこないでしょ。それと5年前に受けた「骨シンチ」の検査は大変苦しんだこともあり受けたくなしと話したことがある」 薬を使わない、精密検査もしない、病院にとってはありがたくない患者ということかだろうか。

晩期ガンを宣言されて、痛みにはモルヒネがありますからといわれた患者が、56ヶ月リバウンドのなか頑張っている姿を見て主治医が発する言葉だろうか。
不思議に思うのは、医者は「検査数値が横ばいなのは、患者が何をしていたのか」を聞こうとしない。これでは頑張りましたね、とはいえないと思う。
医者はパソコン(患者のデータ)かカルテを見ながら話をしている。患者の顔を見て話をしない。病気がひどかったときの自分の顔を思い出すが、この時は素人の自分でもただ事ではないとわかる。医者だったらもっと細かくわかると思うのだが「医者は患者の顔を見ない」、目の前に活きたデータあるのにと思うのである。

この一年間頑張ったことに触れてみたい

一日断食

毎週日曜日、一日断食を始めて62回になる。一年三ヶ月になるが体は慣れてきた。いつでも断食は止められると思っていたことで続けられたのかな。あるいは、断食明けの月曜日朝食は玄米の雑炊にしているが、これがうまいこと、このうまさがあるから断食が続けられたのかな。
時に空腹に襲われるが、そんなときは白湯か抹茶をたてて飲んでいる。

自転車

ノルディックウオーキングによって筋肉が付いてきたと考えて自転車を乗ることにした。
5年前に病気をした後、自転車に乗って二回ほど転倒している。片足で体を支えられなかったからであった。
今回もやはり転倒してしまった。でも目的があって今、頑張っている。ウウォーキングの筋肉と自転車の筋肉が違うのがわかった。だから、自転車に乗って自転車用の筋肉をつかうよう頑張っているところである。

囲碁

孫が小学校の囲碁クラブに入って「囲碁を教えてください」とたのまれた。そこであらためて基礎からの勉強をしているうちに実際に相手と打ちたくなってしまった。
以前所属していた「囲碁クラブ」は病気してから辞めていた。再開しようとしたが移転したため、徒歩でいけなくなったので自転車を始めたわけである。
いろいろ探しているうちに近所に「いきいきセンター」というところがあって誰でも打てるのがわかった、何人か知り合いもいたのでしばらくはここで打ってみたいと思っている。それにしても簡単な定石を忘れていますね。まいいか、楽しみながら打ちましょう。免疫力アップになるように。

ベランダ菜園

ベランダに横長のプランタンを並べて野菜を栽培している。小松菜、チンゲンサイ、春菊、赤カブ、しそ、パセリ、サニーレタス、ミニトマト、ゴーヤ
冬のあいだは不織布、いまは防虫用網で覆うっている。ところが、防虫用網を使ってもアブラムシは防げなかった、結局菜園は全滅してしまった。再度挑戦中である。
菜園を始めていろいろなことを学んでいる。
連作障害、種播きの深さ、土壌の作り方、水のやり方、化学肥料とアブラムシの関係、追肥のやり方、次々と出てきますね。
困るのは、種をまいても芽が出てこない。どうしたもんじゃろうの。
摂れた野菜を食べる、グリーンカーテン、時に蝶が巣立っていく、菜園はいろいろありますがそれは楽しいものです。


(ガンと闘う仲間より 2016.5.30記)

(一)晩期ガンとの共存7年目

晩期ガンとの共存は201611月で満6年が経過した。7年目に入ったところである。
PSAはリバウンドしたものの極めて低水準を維持している。直近の数値は0.112
その前と比べてほとんど変わっていない。
ありがたいことに、最近は体が動くようになったことで、やりたいことがふえた。
ベランダではプランタンを増やし野菜をいろいろ植えてみた。野菜には輪作が出来ないものがあるのを始めて知った。中で輪作が可能な小松菜、サラダ菜を植えていたが気温が上がると同時にアブラ虫に占領されてしまい全滅である。
植物の三大栄養素は窒素、リン、カリであるが、窒素はたんぱく質、アミノ酸の原料になり、たんぱく質、アミノ酸はアブラ虫の好物である。だから化学肥料を与えると必然的にアブラ虫を呼ぶことになってしまうようだ。かといって殺虫剤を散布するわけにはいかない。そんな経緯から野菜つくりを断念することになってしまった。残念でならない。

(二)週6日の囲碁三昧

時間を持て余していたとき、道で囲碁仲間に偶然会う機会があった。話をしているうちに囲碁が打ちたくなってきた。さいわい近所に「いきいきプラザ」があり、午後の時間なら自由に囲碁を打てることを知った。ありがたいことに五段クラスの人が毎日打ってくれるので、今は週6日、囲碁三昧である。囲碁を復活して一週間が飛ぶように過ぎていくようだ。
石倉昇九段は「囲碁は年をとっても上達する」といっている。事実この半年で「2目ほど上達した」と五段クラスの人から評価してもらえた。うれしいな。

(三)日本の医療制度は刷新すべき

「いきいきプラザ」ではいろんな情報が入ってくる。ある囲碁仲間の弟さん、57歳で晩期ガンということで、私に話しを聞きに来た。私のブログ「晩期ガンからの生還」を紹介かたがた私の経験を話した。
残念ながら弟さんはすぐに亡くなられた。
後で状況を聞くと「全身に転移している状況のなかで医者は、抗ガン剤、放射線治療をおこなった」と聞いた。これには驚いた。私の場合、主治医はガンが全身に転移している状況ではガンの三大療法、つまり手術、抗ガン剤、放射線は採用出来ないといわれた。これは医療現場では常識だと思っていたから、この医者の処方は医療ミスではないかと思ってしまったからだ。もちろん技術がどんどん進歩しているから新しい処方も出てくるのだろう。でも免疫力の落ち込んでいる患者に免疫力をさらに落とす抗ガン剤治療は考えられないと思うのだが。

晩期ガン7年目に入った私にたいして主治医は私の顔を見ないし、問診もしない。パソコンを見ながら次回の予約日を告げるだけである。前立腺の晩期ガンは5年生存率3割と厳しい。だからせめて「晩期ガン7年目、よく頑張りましたね、どんなことをしているんですか」ぐらいは言っていいのではないだろうか。薬は摂らない、検査はしない、私のような患者は、病院や医者の収入にならないということだろうか。
どうも日本の医療制度については抜本的に改善すべき点が多いように思う。

(四)イギリスの医療制度に学べ

イギリスの医療制度を紹介したテレビ放送があった。はっきりとは覚えていないが「患者の健康指導をすることで、効果が認められた場合。これが評価点として当該医者に生涯累積され、医者の収入に反映されるというものだったように思う。医者にとっては薬や手術をしなくても収入になる、他方国の医療財政は改善される」。優れた制度だと思う。
わが国は今、医療制度が破綻するとわかっていながら手をこまねいているだけである。医療を取り巻く受益者が特権を失いたくないからであろう。これら受益者は国家財政が破綻しようと、患者が死のうと関係ないことなのであろうか。
医療の必要性は否定しないが、日本は少しでも早くイギリスの医療制度を学び、将来に向けて改善すべき点は改善する国であってほしい。でも既得権益は頑固でなかなか変えられないのである。

国の制度がなかなか変わらないのであれば、「自分で出来ることは自分でやる」と考え方を変えてみてはどうだろうか。たとへば、私のような絶望的だったガン患者でも「玄米菜食」中心の食事で生還している事実やそのほかいろいろな方法でガンを克服している沢山の人を見てほしい。医者に頼るだけでなく「自分で出来ることを自分でやる」その結果健康な体を取り戻すことが出来ればこんなすばらしいことはないのではないか、そして多くの人がこのブログを読んで勇気を持って一歩足を踏み出してほしいものである。

(ガンと闘う仲間より 2017.1.1記)



(一)共存は八年目
 過ぎてしまえば早いものでガンとの共存は八年目に入った。時々ガンの痛みに苦しんでいた当時を思い出す。そして、よくぞここまでこれたことに感謝の念がいっぱいである。 
 三ヶ月ごとの定期健診では少しずつPSAは上昇している。直近の2017年12月の数値は0.45(前回0.316)であった。主治医は「次回の数値を見て薬を飲むかどうか検討しましょう」ということで、今回も薬から逃れることが出来た。

(二)自分をほめてあげたい
 自己自慢になるので書きにくいのであるが、いくつかあげてみたい。
①血管年齢が65歳と判定された。これは実年齢より8歳も若く判定されたことになる。うれしいですね。これは「クルミ」の成果だと思っている。テレビの健康番組でクルミの効果を聞いてすぐに実行した。我が家では、「健康にいい」といわれたことはできるだけ実行してみることにしている。
②血圧は最高が115前後、最低は65前後と安定している。数値は年齢からすれば健康優良児である。この数値はここ数年変化がない。余談だが、囲碁を打った後すぐに測定すると最高値が20ほど上がっている。少したつと下がっているのが面白いですね。
③全部自分の歯である。今年虫歯治療に10ヶ月も掛かった。いままでほったらかしにしていたから当然の報いであるが、幸いなことにいままで何とか自分の歯を維持することがきた。同年代の人がほとんど入れ歯をしていることを見れば頑張っているのではないだろうか。
④週6日の囲碁三昧。これは前にも触れたが、毎日高段者の人と打っていただける。こういう機会に出会うことはなかなかないのに実に恵まれている。毎日充実していて月日がたつのが早い。

 なお、現在に懸念材料は脂肪の多いか少ないかである。血液検査では毎回中性脂肪だけが基準値を上回っている。また自宅の体重計では体内脂肪率と内臓脂肪率が基準を上回っている。
 牛肉や豚肉をほとんど食べてうなうのにこの結果はなんとなく釈然としない。ただこの問題は「睾丸」を除去手術しているため私の場合、「微妙なホルモンバランスが一般の人を対象としている基準とは違うのだ」 と勝手に解釈している。それでもなんとなく気になるものである。

(三)医食同源の実践
 「玄米+菜食+ジュース」はガンとの共存開始から今まで継続している。牛肉と豚肉はほとんど食べていないのは、先に触れたが、このことを人に話すとほとんどの人は、「たんぱく質不足」を懸念する。
 「たんぱく質」については卵、大豆、納豆、豆腐、煮干、クルミ、ヨーグルトを摂っているので問題ないと思う。ただ最近は足や腕の筋肉を強化したいと思い、「鳥の胸肉」を食べ始めたところである。
 「食事は健康の源」、この八年間の食事と先に触れた成果を振り返り「医食同源」を実践してきたと思う。これからも今までの食事を続けていきたいと考えている。

(四)短期の目標は「共存・十年目」のごほうび
 2017年7月に義父をなくした。享年94歳であった。クレアチニンが高かったことで十年前から人口透析をしていたが、それ以外の病気もなく、頭も明晰であった。ただ透析によって心臓の負担が徐々に高まり、医者からは「いつ亡くなってもおかしくない」といわれていた。その通り痛みもなく急に亡くなられた。まさに「ピンコロ人生」 だったのである。
 自分も義父のような生涯であってほしいと思う。それには「心身ともに健康」でなければならない。脳を含め健康であり続けるには、これまでのような自己管理が欠かせないだろう。
 そうはいっても継続するには「共存・十年目」には「ごほうび」も必要だろう。
 いままで断っている「日本酒を飲みたい」、こんなささやかな目標を設定した。

(ガンと闘う仲間より 2018.1.1記)


2014年1月6日月曜日

04 ガン備忘録


400 ガン備忘録目次


401 PSAの判断基準
402 前立腺ガンのステージ
403 グリソンスコア
404 骨シンチグラフィー
405 先進医療
406 前立腺ガンのホルモン療法
407 前立腺ガンの五年生存率
408 部位別ガンの五年生存率
409 ゲルソン療法 (食事療法の祖)
410 セルフ治療 (橋本豪医師の教え)
411 ガンとファイトケミカル
412 ファイトケミカ見表
413 デザイナー・フーズ・プロジェクト
414 ファイトケミカルは薬を超えるか
415 野菜別ファイトケミカル
416 アポトーシスとガン再発
417 ジェネリック医薬品
418 サプリメント
419 近藤誠医師に学ぶ
420 船瀬俊介氏の警告
421 酸化と還元と (サプリメントその2)
422 ウオーキングの楽しみ
423 アキラめない(写真)
424 飛び立つ寸前のアゲハチョウ(写真)
425 ガンの痛みの本質
426 ノルデックウオーキング( 2014.4.22



401 PSAの判断基準

PSA(前立腺特異抗原)は、前立腺ガンの有無を判定する基準として使われているタンパク質。前立腺ガンになるとPSAが血液中に増えるため判断基準として使われている。
年齢にもよるが、正常の人では、PSAの正常値はおおむね4以下だとされる。そこから考えると、私の721という数値はとてつもなく高い。


402 前立腺ガンのステージ

ガンのステージは表に見るとおり、ガンの転移の状況からAからDがあり、中でD2は骨や肺など遠隔地に転移していて最悪である。D3というのはあるがこれは再発した場合のステージである。


403グリソンスコアー

前立腺ガンの悪性度を判断する指標。6以下はおとなしいガン。7は前立腺ガンの中でもっとも多いパターンで中ぐらいの悪性度。8から10は悪性度が高いガン。

Ganjoho.jp


404 骨シンチグラフィー

全身の骨シンチグラフィーの映像には移転したガンの箇所が黒くでている。骨盤と足の付け根、脊椎、左と右の肋骨に移転がくっきりとみられた。
別のCT写真からはリンパ節などに転移がみられ、また胸のレントゲン写真からは、もやのような白い影が肺の全体に広がり、肺への転移も認められた。全身にガンが転移している事実が、撮影をつうじて、まざまざと見せつけられた。


405 先進医療「陽子ガン療法」

「ホルモン療法」以外の別な治療法ということで、厚生労働省から先進医療として認可されている「陽子ガン療法」についても調べてみた。陽子を使う粒子治療の利点は、放射線治療のような副作用がないことである。患部のみをターゲットとする局所的な治療法で、局所制御率は96パーセントと非常に高い。しかし局所の治療法のため、私のように全身に転移しているケースは適用できない。また保険適用外のため、国立がんセンターの場合で288万円と、かかる費用はべらぼうに高い。
治療費を負担できたとしても、ガンが転移している場合には「先進医療」からも見放されているのである。

独立行政法人国立がん研究センター東病院のホームページを開くと詳しい説明がある。
国立がん研究センター



406 前立腺ガンのホルモン療法

前立腺ガンの治療法は①手術、②放射線、③ホルモン療法の三つがあるが、私の場合は、③ホルモン療法でいくと告げられた。

(一)前立腺ガンの治療法はガンの進行度に応じて変わってくる。
『ホルモン療法ハンドブック」(発行:アストラゼネカ株式会社)の解説がわかりやすく参考になった。
(1) 「限局ガン」(前立腺内のガン):主な治療法は手術と放射線。(補助療法としてホルモン療法)
(2) 「局所浸潤ガン」(前立腺の皮膜を超えて広がっている):主な治療法は手術→ホルモン療法、あるいは放射線治療→ホルモン療法
(3) 「進行ガン」(骨やリンパ節に転移している):主な治療法はホルモン療法
これによると、早期のガンは手術か放射線で治療する。一方、転移している進行ガンの場合はホルモン療法を中心におこない、ガンの進行を抑え、長期的にガンをコントロールすることを目指すとある。

(二)前立腺ガンは特殊なガンで、男性ホルモンがなくては生き続けられない。
この性質を利用して、男性ホルモンの分泌を減らしてガンが大きくなるのを防ぐ治療法を「ホルモン療法」といっている。ホルモン療法が「ガンを眠らせる療法」といわれているのは、このためだ。

(三)ホルモン療法は全身的に効果を発揮するため、進行してひろがってしまった前立腺ガンの治療に広く用いられる。
男性ホルモンは、睾丸で95パーセント、副腎で5パーセントが作られている。この男性ホルモンをコントロールするのがホルモン療法である。
ホルモン療法には二つの方法がある。
(1) LH‐RHアゴニスト注射=男性ホルモンの分泌をおさえる方法
(2) 抗男性ホルモン剤=男性ホルモンの働きを妨げる方法

これら二つを組合せ、LH‐RHアゴニスト注射で男性ホルモンの分泌を抑え、抗男性ホルモン剤で完全に抑えきれない男性ホルモンの働きを阻害、治療の効果を最大限にたかめる治療法をMAB療法という。
ガンが全身に転移している進行ガンである私の場合は、LH‐RHアゴニスト注射と抗男性ホルモン錠剤を併用したMAB療法となった。

(四)ホルモン療法に問題点
みはま病院の資料によると「(ホルモン療法)によりガン細胞はしぼんでいき、それに応じてPSAも下がっていく。しかしガンのタイプにもよるが1~4年の間にはホルモン療法を行ってもガンが増殖を開始する。このことを前立腺ガンが再発したという。こうなるとガン細胞は抑えきれない」と医者は話した。

(五)男性ホルモンを抑える別の方法 は 睾丸摘出である
2011年9月に除睾手術を行った。理由は以下の三点である。

①     男性ホルモンを抑えるホルモン注射について、「効果の持続性」に対する疑問
②     ホルモン注射の副作用が、学会でいくつか報告されていること
③     注射の金額が高いこと

「効果の持続性」については、前に触れている
主治医は、ホルモン注射より除睾手術のほうがガン再発の可能性は少ないし、副作用も少ない。また一回の注射代と手術費用が同じだと説明している。この点は医者によって考え方の違いがあり、患者としては悩ましいことである。


407 前立腺ガンの五年生存率

インターネットで前立腺ガンの5年生存率(第四表)を調べてみると、D(転移性ガン)レベルの場合は5年生存率が29パーセントであった。A(偶発的に発見されたガン)の場合の5年生存率は97パーセント、B(局部限定ガン)では100パーセント、C局(所浸潤ガン)では60パーセントであった。
ほかのデータを見ても、Dレベルのうち骨や肺など遠隔点に転移している場合の5年生存率は20~30パーセントと、ほぼ同じ結果が報告されている。
早期に発見し適切な措置を取れば、前立腺ガンの場合の5年生存率は、他のガンに比べてきわめて高い。ところがリンパ節や骨や肺などに転移している場合には、通常の前立腺ガンと比べると5年生存率が極端に低くなる。あらためて、自分がおかれている状況がいかに厳しいかを認識させられた。


408 部位別ガンの五年生存率

全がん協のデータでもステージⅣ(遠隔転移がん)の場合は、いずれのガンでも急速に生存率が落ちているのが認められた。



409 ゲルソン療法とは

食事療法を調べていくとマックス・ゲルソンの栄養療法にたどり着いた。インターネットで調べてみると「ガンの栄養療法の創始者」とあった。マックス・ゲルソン博士(1881~1959年)はユダヤ系ドイツ人で、ベルリン大学医学部を卒業、1938年ナチスの迫害を逃れてニューヨークに移住。1930に完成した栄養療法で多くのガン患者を助けたとある。著書の『ゲルソン療法全書』は欧米で広く読まれている。
さきに述べた済陽式ガンの食事療法、橋本氏「本気塾」の食事療法の部分は「ゲルソン療法」が基になっている。

ゲルソン療法のポイントは
① 徹底した塩分の排除とカリウムの大量供給
② 有機栽培で作られた野菜・果物のサラダ、ジュース、スープを大量に摂る
③ 全粒穀物
④ 油と油脂を含む食品はすべて禁止
⑤ 肉類、魚介類その他の動物性たんぱく質の禁止
⑥ アルコール・タバコ・香料品は禁止

ゲルソン療法の基本理念は「ガンを全身の栄養障害、代謝障害がもたらす病気」と定義づけ「高たんぱく、高脂肪の食事に偏って、ビタミン、ミネラル、酵素が不足すると、身体のさまざまな代謝に異常をきたし、その結果としてガンを引き起こす」。したがって「食事療法によって人間が本来備わっている免疫力を高めて治療すればガンは自然消滅する」という考え方である。

塩分大好き人間の私にとって、なぜ塩分がなぜ良くないかの説明も納得した。
無塩食は、細胞内外のナトリウムとカリウムのバランスを正常に保つために必要なことで、われわれの身体は細胞の外部にナトリウム、細胞の内部にカリウムが多い状況でバランスが取れる。しかし塩分の取得が多くなるとミネラルバランスが崩れ、細胞の中にナトリウムが入り込み、細胞の外にカリウムが追い出されて細胞の代謝がうまくいかなくなる。厳格な無塩食を実施すると、身体に蓄積されたナトリウム・塩素・余分な水分が追い出され、ガン細胞が分裂、増殖するのを防ぐとあった。晩期ガンで追い詰められた私としては、なにはともあれ無塩食でいくしかないと覚悟を一段と強めたわけである。
もう一つ、無塩食によってナトリウムが不足するのではないかと心配していたが、「無塩食をはじめると発汗が抑制される」とあった。風呂に入って汗をなめてみると確かに塩分の味はしなかった。
また海藻類、魚介類にも塩が含まれているから、一日に必要な塩分2~3グラムは食材に含まれるとあった。これも納得がいく説明であった。
大量の野菜・果物を摂ることによって、ビタミン、ミネラル、酵素など必要な栄養素が補給できる。新鮮な野菜・果物による搾りたての生ジュースは、体内における吸収率が高く、野菜・果物の栄養素を効率よく摂取できる。消化酵素も豊富に含まれているので、消化のためのエネルギーを体内で作る必要がないと説明されていた。植物の持っている可能性は計り知れないと思ってしまう。

ゲルソン療法で飲まれているジュースは一回220cc、一日13回で3,000ccとある(掛け合わせてもなぜか3,000ccにたりない)。それにしても半端な量ではないがこの3,000ccが世界の標準になっている。
geruson療法

409b星野式ゲルソン療法
星野仁彦医師 福島学院大学教授・医学博士の事例は、自身医者で末期の大腸ガン・肝臓ガンに罹患し、五年生存率0%といわれた段階で抗ガン剤を否定し、星野式ゲルソン療法によりガンを完全克服した。
ゲルソンの栄養療法では大量の生野菜ジュースを飲む。
このジュースのガン抑制のメカニズムを星野医師は以下のように記述している

フリーラジカル(活性酸素)の無毒化
発ガンプロモーション(促進因子)の抑制効果・傷ついたDNAの修復
マクロファージ(大食細胞)、Tリンパ球の活性化
ガン細胞のアポトーシス(自殺)誘導
ミネラルのアンバランス(特に細胞のNa/K比)の修復
星野式geruson療法



410 セルフ治療

橋本豪医師は、セルフ治療では食事、自律神経、およびメンタル(精神)という三つのフィールドで取り組むことを提案。どれかひとつではなく必ず三つのフィールドに総合的に取り組むことを心がけること。これがガンに克つセルフ治療と述べている。



411 ガンとファイトケミカル

ガンの発病には「二段階説」がある。
第一段階は、「発ガンのイニシエーター」と呼ばれる細胞を傷つけるフリーラジカルが細胞膜を傷つけ、細胞の中のDNA(遺伝情報)を傷つけ、傷ついた細胞がそのまま分裂してしまった状況がガンの発生である。いわば「ガンの赤ん坊」の誕生で、この段階ではまだ害もなく、眠った状態である。

第二段階は、その細胞を目覚めさせる「発ガンのプロモーター」で、異常になったDNAの情報を持った細胞が細胞分裂を始めるようにさせる促進因子の役割である。
一個の細胞から10億個ぐらいの細胞が集まる大豆ぐらいの腫瘍になるには10年~20年かかる。ところがここから10倍になるにはたった1.5年~2年しかかからない。

第一段階の「発ガンのイニシエーター」と戦うには細胞の酸化を食い止める「抗酸化剤」が必要である。

第二段階の「発ガンのプロモーター」に対抗するには、ガン化した細胞を殺すための「免疫力向上」と、ガンが成長しないようにする「抗ガン作用」を持った物質が必要である。

抗酸化作用、免疫力向上作用、抗がん作用の三つの作用をもった物質があればいいのだが、自然界では、たとえば抗酸化の栄養素についてはビタミンC、ビタミンE、ベータカロチン、葉酸。ミネラルではセレニウムなどが良く知られている。いずれも緑黄色野菜に多く含まれている。

実は抗酸化作用、免疫力向上作用、抗ガン作用の三つ作用をもった物質が1980年代に次々と植物性食品から発見されていった。植物性食品が一躍注目を集めることになったのである。

以下の項目を参考にされたい
「412 ファイトケミカル早見表」
「413 デザイナーフーズ」
「415 野菜別ファイトケミカル」




412 ファイトケミカル早見

ここに挙げられているファイトケミカルの事例はほんの一例に過ぎない。ガンと植物の関係はもっと注目されていいと思う。 
資料はガンサポート情報センター(2007.12月号)
セレンクリニック診療部長高橋弘資料より抜粋

400 ガン備忘録目次


413 デザイナー・フーズ・プロジェクト

アメリカの国立ガン研究所は、膨大な量の疫学調査データを収集し、ガン予防に効果のある食品および食品成分約40種類をピックアップし、その重要性にあわせてピラミット型の図(デザイナーフーズリスト)を作成した。図は、上に行くほどガン予防の効果が高い植物である。



414 ファイトケミカルは薬を超えるかもしれない

『長生きしたければファイトケミカルを摂りなさい』(山崎正利著河出書房新社)によると「白血球の活性を高める野菜と果物」という図がある(十三図)。この図の中でキャベツ、ナス、大根、ほうれん草、キュウリなどの野菜が、インターフェロンやガンに用いられる免疫活性剤よりも白血球の活性を高めていることが明らかにされている。今後、研究が進めば、より詳しくファイトケミカルの持てる力が明らかになることを期待したい。

414b ファイトケミカルは熱を加えても破壊されない


インターネットを調べていたとき、「ファイトケミカルは加熱調理しても破壊されない」「煮ても焼いても、茹でても、揚げても、問題なく栄養摂取ができる」とあった(URL)。
別のところで、高橋弘(セレンクリニック診療部長)は「ファイトケミカルは植物の細胞に含まれる安定した物質。(人間の)体内に吸収するには(植物の)細胞膜を破壊しなければならない。熱を加えることでファイトケミカルが細胞外に溶け出し、煮出し続けるとその効力も8~9割が煮汁に溶け出す。その効果の中には強力な抗がん効果も含まれる」「生ジュースに比べ同じ野菜を煮出したスープは10~100倍もの抗がん効果が潜んでいる」と述べている。
この記事に触れてから野菜汁の作り方を変更した。生ジュースの搾りかす、かぼちゃの種(種は包丁で切れめをいれておく)、たまねぎの皮、野菜のヘタなどなんでも入れて煮出している。
それ以前は、生ジュースの搾りかすは、半分は野菜汁のダシに使い、残りの半分は捨てていた。この捨てていた分の残りかすからファイトケミカルスープをつくって、生ジュース一回分とすることにした。熱に弱い栄養素は生ジュースで摂り、熱を加えることでより効果的なファイトケミカルを煮汁スープから摂れるなら、最高の組み合わせと考えられる。
高橋医師レポート




415 野菜別ファイトケミカル(植物栄養素

デザイナーフーズにあげられている植物を調べてみると、驚くべき力があることがわかってきた。そのいくつかをあげてみたい。(絵はすべてインターネットから取ったもの)

にんにく(ユリ科、原産地中央アジア
にんにくには400種類以上の化学物質が見つかっている。
これら化学物質の役割は、まだわかっていない部分が
ほとんどである。
強い刺激臭をだすイオウ化合物のなかに、強い殺菌作用、
免疫作用、抗ガン作用が認められている。特に消化器系
のリスクを軽減し(胃ガン、結腸ガン)、ガンの増殖スピードを抑える作用や、免疫細胞を活性酸素から守る作用が認められている。

キャベツ(アブラナ科、原産地大西洋沿岸・地中海沿岸)     
キャベツのビタミンUは、胃腸の粘膜の新陳代謝を活発にし、
胃潰瘍、十二指腸潰瘍の回復をサポートすることで知られ
ている。
辛味成分のイオウ化合物(イソチオネート)が、免疫細胞の
数を増やしたり活発化させ、ガンの発生や増殖を防止する効果が報告されている。

大豆(マメ科、原産地中国東北部・シベリア)        肉に匹敵するたんぱく質を含有する植物として、「畑の肉」
「大地の黄金」などミラクルフードとして注目されている。
大豆イソフラボンは、弱い女性ホルモン作用(エストロゲン
に似た成分)があり、乳ガン、前立腺ガンの予防効果が
よく知られている。
イソフラボンの一種である「ジェニスタイン」は、腫瘍の
血管新生を抑える効果があり、ガンの増殖を抑制する。
大豆からは、大豆サポニンのほか多くの抗酸化剤が発見されている。

生姜(ショウガ科、原産地熱帯アジア)                
辛味成分シンゲロールなどの中に抗酸化作用、ガンの発生、
進行を防ぐ効果が報告されている。

人参(セリ科、原産地アフガニスタン)
ベータカロチンが抗ガン作用、免疫力アップ、
同じくアルファーカロチンが抗酸化作用、
免疫力アップに効果が認められている
。第一グループに属しているバースニックは、
西洋人参ともよばれている。
アスコルビナーゼ(酵素)がビタミンCを破壊するため、レモンや酢を使うと良い。

セロリ(セリ科、原産地地中海沿岸・中近東)
食欲増進、精神安定、疲労回復、エネルギー代謝の促進効果がある。ガン関連の効果については今回調べることができなかったが、個人的な感覚では、いずれ発見されると思う。

たまねぎ(ユリ科、原産地中央アジア)
強い辛味、香味の中にイオウ化合物がある
血液をさらさらにして、高血圧、糖尿病、
脳血栓、脳梗塞の予防など生活習慣病に
広く効果が報告されている。
イオウ化合物に抗酸化作用、がん予防効果がある。ポリフェノールの仲間である「ケルセチン」はガンを誘発する物質を不活性にし、ガンの成長を促す酵素を阻害する作用がある。

茶(ツバキ科、原産地中国雲南省)
緑茶生産地ではガンの死亡率が低く、中でも胃ガンの死亡率は、全国平均の五分の一であった。
渋み成分「カテキン」が発ガン抑制作用、抗腫瘍作用、突然変異抑制作用、抗酸化作用が報告されている。カテキンの抗酸化作用はビタミンEの約20倍の強さがあることが明らかにされている。
カロチンには発ガン抑制作用、ビタミンEには抗酸化作用が認められている。

トマト(ナス科南アメリカの西部高原)
代表的な緑黄色野菜。「トマトが赤くなれば医者が青くなる」という慣用句があるほど、健康作用については、慣習的にもよく知られている。トマトの赤は「リコピン」によるもので、抗がん作用、抗酸化作用が知られている。ハーバード大学の研究では、トマト関連食品の摂取と前立腺ガンの罹患率の低さとが相関していると発表している。

ナス(ナス科インド東部)
細胞が何らかの理由で変異を起こし、それが
進行拡大するとガン化することがある。
この変異を抑制する物質のことを「抗変異原性」といい
植物の生理的機能の一つであるナスは飛びぬけて多く含まれているが、このほかブロッコリー、小松菜、ほうれん草、ゴボウにも多く存在する(大久保増太郎著『日本の野菜』中広新書・154ページ参照)

ブロッコリー(アブラナ科地中海)
代表的な緑黄色野菜。カロチンは抗酸化作用がある。ビタミンCはレモンの2倍。抗変異原性はナスについで多い。






玄米(イネ科、原産地中国雲南省)


 右図は玄米と精製米の成分を比較したものである。
籾殻を取っただけの精米していない米。糠成分の中にミネラル、ビタミン、植物繊維、脂質を多く含む。糠成分、胚芽の中に抗酸化物質を多く含む。精製米にすると糠成分、胚芽に含まれる有効成分が失われてしまう。(第五図)玄米と精製米の成分比較

1999年アメリカの食品医薬品局(FDA)の許可により、51パーセント以上の全粒穀物を含む食品については、「ガンや心臓病のリスクを減らす可能性がある」と表示できるようになった。アメリカ、カナダの食生活指導では、穀物の半分以上を精製しないよう指導している。(ウイキベディア・フリー百科辞典参照)

ブロッコリー(アブラナ科地中海)
代表的な緑黄色野菜。カロチンは抗酸化作用がある。ビタミンCはレモンの2倍。抗変異原性はナスについで多い。


デザイナーフーズには入っていないが、私が良く摂っている野菜は、ごま、きのこ、かぼちゃ、大根、かぶ、ほうれん草などがある。これらも抗酸化作用、免疫力強化、抗ガン作用が報告されている。

ゴマ(ゴマ科、原産地アフリカ)
ミネラル、ビタミン、たんぱく質、植物繊維、脂質と栄養分の宝庫である。ゴマリグナン(含むセサミン)は、抗酸化作用、抗がん作用が報告されている。

きのこ(キノコ科、不明)
グルカンという多糖類が白血球を活性化させ、ガンの発生や進行を阻止する作用がよく知られている。シイタケ、カワラタケ、スエヒロタケから抗腫瘍成分が抽出されて免疫活性剤として製薬化されたものもある。
シイタケ、エノキ、シメジ、マイタケなど手に入りやすいキノコ類を日常的に摂っていると、免疫力効果を高める可能性が指摘されている。



416 アポトーシスとガンの再発イメージ

「ホルモン療法によって、ガンが眠っている状況とはどういうことか」と医者に聞いてみた。医者は「前立腺ガンは特殊なガンで、男性ホルモンなしには生きられない。男性ホルモンの投与によってガン細胞がアポトーシス(管理調整された細胞死)の状況にある。ところが前立腺ガンによっては、ホルモン療法が効かないガン細胞があり、これが動き出す可能性がある。それが前立腺ガンの再発で、このときは制癌剤といった別の方法をとることになる。ガンが完全になくなったと判断されるのは、PSAが0.008以下である」といわれた。
 ところが後日調べて見ると、0.008未満の人でも再発している人がいた。ガンは人によっていろいろで、まことに厄介なしろものである。



417 ジェネリック医薬品

2011年4月病院にいったとき、医者に聞いてみた。ガンを抑えるのにホルモンの錠剤は必要だが、尿がでなくなったとき処方された「エピプロスタット」と「ハルナール」は、ガンに直接関係ない錠剤なのでやめたい、と申し入れたのだ。医者は、ジェネリック(後発医薬品)があるといっていたが、この二種類の薬については、再び悪くなったらもらうことにして断った。ホルモン錠剤については、ジェネリックにすることにした。

ガンとの闘いは長期戦である。できるだけ医療費負担を軽くしたいというのは人情であろう。ジェネリックに変えたことで、金額は32パーセント軽減(42日分で約4000円強)された。また薬を二つ減らしたことで約8000円(42日分)が削減された。

自宅に帰ってジェネリック薬のことを家内に話したら、ジェネリック医薬品の普及を図るために千葉市保健福祉局が作成した「ジェネリック医薬品希望カードについて」という案内を見せられた。その案内には「ジェネリック医薬品は、先発医薬品と同じ有効成分、効能、効果で、先発医薬品より安価な医薬品ですが、希望される場合には、医師や薬剤師への相談が必要となりますので、お送りしたカードを診察のとき保険証と一緒に医者に見せたり、薬局で処方箋と一緒に薬剤師に見せるなどしてご利用ください。」とあった。
発送された日付を見ると平成21年9月25日となっていた。現在が平成23年5月だから一年以上も前の案内である。無知というか、無関心というか、知らなかったために、本来安くなっていた医療費負担がかなり割高になっていたことは、反省である。



418 サプリメント

いろんな方のガン闘病記を読むと、サプリメントの話が出てくる。
そんな中で、ガン仲間から「マイナス水素イオン」というサプリメントの紹介を受けた。
私はあまり知らなかったから
『マイナス水素イオン 健康革命』(若山利文著 ナナ・コーポレート・コミュニケーション) 
『放射能に負けない体の作り方』(土井理沙著 光文社新書)、
『がんが消えた マイナス水素イオンの奇跡』(及川胤昭・鶴見隆史著 幻冬社)
『水素と生命』(若山利文著 Nanaブックス)。
などを購入して読んだ。

インターネットでは
家庭の医学(時事通信)水素の抗酸化力と医薬への応用
http://book.jiji.com/igaku_2006/info/health_08.html

一般社団法人 水素と医療研究会http://k-suiso.jp/

水素と医療研究会は医者の研究会である。マイナス水素イオンの臨床例はまだ少ないが、報告されている事例からみるとマイナス水素イオンの可能性は十分魅力的なものであった。また薬と違って副作用が無いのも魅力である。




419 近藤誠医師に学ぶ

「アキラめない 私のガン闘病記」をインターネットで発表したあと、たくさんの方からいろいろな感想を頂いた。

(一)「患者よ ガンと闘うな」
 「自分がガンになったら近藤誠医師の『患者よ ガンと闘うな』(文芸春秋)という本にあるようなガンとの付き合い方をしたい」というのがいくつかあった。
私は、この本を読んでいなかったので、すぐに図書館にいき、『患者よ ガンと闘うな』『患者と語る ガン再発・転移』『がん治療総決算』を借りてきた。いずれも近藤誠医師の著作で、1996年3月、1994年2月、2007年9月に刊行されたものであった。

近藤誠医師は、慶應義塾大学医学部放射線科の医師で、本の内容は、16年も前に書かれたものであるが、今読んでも衝撃的なものであった。日本のガン医療の問題点を指摘しているから、医者の仲間からは村八分にされることは目に見えている。そんななかで日本の「ガンに対するある種の常識とか社会通念」を否定した勇気に敬意を表したい。

それでは日本での「ガンに対するある種の常識とか社会通念」とは、近藤誠医師が例としてあげているのが
ガンは怖い
ガンなら手術や抗ガン剤
ガンで死なない一番の早道は「早期発見・早期治療」
そのためには、ガン検診が必要

などで、今でも多くの人が持っている常識、社会通念である。これを、近藤誠医師はすべて否定している。
さらに「日本のガン治療の質が悪くなった原因は、じつは権威とか名医といわれる専門家たちの言動にある」と指摘しているのである。

(二)近藤理論
近藤誠医師の考え方を以下、近藤理論としよう。
(1)ガンは「本物のガン」と「ガンもどき」がある。
「本物のガン」はかなり早い段階で転移をするガン。
「ガンもどき」は転移しないガン。ほとんどの場合、何もしなくていい。
ただし、二つのガンを病理検査で顕微鏡を見ても区別できないところに問題がある。

(2)手術は殆ど役に立たない
「本物のガン」は早い段階で転移しているから、早期発見・早期治療は役に立たない。手術しても、いずれ転移したところが進行して命を落とす。
「本物のガン」を手術しないで放置した場合、たとえば胃ガンだとすると胃の閉塞症、出血が起こる。この時検査をし、胃を切除すればいい。この場合もすでに転移しているから、いずれ命を落とす。
死亡する時期は「早期発見・早期治療」しても「放置」しても同じになる。
異なるのは胃袋のない生活の期間だ。と述べている。

転移しない「ガンもどき」にもかかわらず、患者の臓器が切除されている現状は容認できない、日本は手術偏重だと指摘している。

(3)抗ガン剤治療に意味があるガンは全体の一割
抗ガン剤で生存率が目覚しく向上する事例は、急性白血病、悪性リンパ腫、睾丸腫瘍、子宮繊毛腫、小児ガン。
抗ガン剤で生存率が向上するが先に触れたガンほどでないもの。乳がん、小細胞型肺炎、卵巣ガン、大腸がんの一部

そのほかの抗ガン剤は意味がない。ここで注意しなければいけないことは、医者の世界で抗ガン剤が有効というのは「ガンが縮小」することで「いのち」とは無関係な指標なのである。つまり、抗ガン剤でガンが3センチから2センチに縮小すると抗がん剤は有効となる。しかし(ガンが残っている限り)縮小したガンはすぐに増大するから抗ガン剤は無力である。延命効果のあることもあるがわずかに延びるだけで死亡する。延命効果のわりに副作用が強烈である。

(4)ガン検診は百害あって一利なし
早期発見・早期治療が有効という証拠はどこにもない。肺がん、乳がん、大腸がんについては海外の医療機関でがん検診が無意味であることが検証されている。にもかかわらず、日本では依然として早期発見・早期治療のもと、ガン検診が行われているのである。
そのほか、内視鏡での感染、医療被曝による発ガンの方が問題である。

(5)ガン治療で治せるのはごく一部、治らないことを率直に認めよう
ガンは転移するもの、治療しても無駄である。ガン治療の将来も、たいした夢がもてない。治らないことを率直に認めないと、長生きもできないし、楽に死ねない。だったら
「残る人生、悔いなく過ごしたほうがいい」
「苦しまずに死ぬために」鎮痛剤、麻薬系の鎮痛剤、モルヒネを使う。
近藤理論はデータに基づいて述べられているので説得力がある。しかし、がんの常識・社会通念といわれる、がん検診、早期発見・早期治療、抗がん剤利用はますます増えている。残念なことだ。

(三)私見では、「患者よ ガンと闘おう」に変えたい
ところで近藤理論の最後のところ「ガンは転移するもの、治療しても無駄である」とある、だから「患者よ ガンと闘うな」になるのだが、ここは納得できない。

というのは「ガンと闘う」のは手術、抗ガン剤、放射線だけではないはずだ。私の場合ゲルソン療法の「栄養療法」で「ガンと闘った」のである。
たしかにまだ1年9ヶ月しか経過していないが、全身に転移していた悪性の晩期ガンが、完全に活動を停止している。私はガンの三大治療法を受けなかった。でも、今は痛みもなくなり、生活を楽しんでいる。同じ生活を楽しむならガンを押さえ込んで痛みのない生活ができればいいに決まっている。

私の取った手段は「ゲルソン療法」であるが、これは病気になった原因を取り除こうとする考え方である。この療法は70年ほど前にゲルソン医師によって確立され、欧米で多くのガン患者を救ったとある。でもアメリカでは主流になっていない。もちろん日本でも主流になっていない。現在の医療は対症療法で「ゲルソン療法」のように病気の原因を治そうとしないからである。
しかし「ゲルソン療法」は済陽高穂医師、橋本豪医師、星野仁彦医師が実践して実績を出しているのである。近藤理論のように何もしないのであるなら、私のように「ゲルソン療法」を取り入れてみたらどうだろうか。

もう一つは、より積極的にサプリメントを取り入れている人もいる。サプリメントは色々あるようだが、私は先に触れたように「マイマス水素イオン」に注目している。
『がんが消えたーマイナス水素イオンの奇跡』(及川胤昭・鶴見隆史著 幻冬社)のなかでガンについての症例が紹介されている。鶴見医師は「手術、抗がん剤、放射線治療はもう受けるな」と述べている。

(四)ガンを正しく理解しよう
いま、国民の半分がガンで死亡する時代である。だからこそすべての人がガンについて正確な情報を持たなくてはいけないと思うのである。
医者から突然ガンの告知を受け、「手術をすること・抗ガン剤を使用すること」が生きのこる最善の方法といわれると、このアドバイスに乗ってしまうことになり、あとで後遺症に苦しむことになる。それを避けるには普段からガンとの付き合い方を考えておく必要がある。
また、家族との意見の違いも出てくる。あらかじめ家族と話し合い、ガンに関する知識を共有しておくことも必要である。

そこで、三冊の本を参考までに挙げておいた。ガンを告知される前に是非家族で読んでおかれるといいと思う。
『患者よ ガンと戦うな』(近藤誠 文芸春秋)
『今あるがんが消えていく食事』(済陽高穂 マキノ出版)
『がんが消えたーマイナス水素イオンの奇跡―』(及川胤昭・鶴見隆史著 幻冬社)
(2012.8.9記)




420 船瀬俊介氏の警告

近藤誠医師の本を読むまで、私は「ガンの三大療法」を信じていた。ところが近藤理論に出会って考え方を変えた。だから初めのころとガンにたいする考え方に変化が出ているのは勘弁していただきたい。
 近藤誠医師は、医者の立場から「日本のガン医療の問題点」を指摘している。一方で患者の立場に立って「日本のガン医療の問題点」を指摘している本も沢山ある。
 そのなかで、環境問題評論家の船瀬俊介氏の『ガンで死んだら110番―愛する人は殺された』(船瀬俊介 五月書房)を取り上げてみたい。
日本人は「医者信仰」「薬信仰」が強い。先に触れた三冊で納得できない人は、この本を読まれたらどうだろう。
 この本はガン患者の8割は「抗ガン剤」「放射線」「手術」で殺されている。ガン医療で潤う医療産業の存在を指摘、三大医療(手術・放射線・抗ガン剤)一辺倒の現代医療に警告を発している本である。
簡単にポイントを触れてみたい。

(1) ガン先進国・アメリカのガン治療は180度かわった
抗ガン剤による化学療法は無力だと認める。なぜならガン細胞はすぐに自らの遺伝子を変化させて、耐性を身につけて抗ガン剤を無力化する(ADG:反抗ガン剤遺伝子の発見)
抗ガン剤の致命的欠陥は、ガン細胞と闘う味方のリンパ球(NK細胞など)を総攻撃し、殲滅してしまうことを発表
抗ガン剤は強い発がん物質であり投与すると別の臓器・器官に新たなガンを発症させることを発表
(以上アメリカ国立ガン研究所(NCI)発表)
アメリカ政府調査機関(OTA)は1990年、抗ガン剤の有効性を完全に否定。代替医療のほうが末期ガン患者を救っていることをはっきり認めた。このOTAレポートでアメリカのガン治療は代替療法優位に変わっていったのである。

ところがアメリカのレポートを日本ではかん口令が敷かれていたのである。

(2)抗ガン剤 七つの疑問
日本での抗ガン剤に対する疑問については、星野仁彦医師による「抗ガン剤 七つの疑問」を船瀬氏は引用していた。以下の通りである。
固形ガン・転移・再発ガンに抗ガン剤は無力
抗ガン剤と認定される過程がデタラメ
抗ガン剤遺伝子のADG(反抗ガン剤遺伝子)を無視している
強い毒作用でQOL(生命の質)を著しく低下させる
リンパ球の活性(免疫力)を低下させ、感染症に対する抵抗力も下げる
抗ガン剤は猛発ガン物質。二次ガンを発生させる
抗ガン剤の使用について、ほとんどの医師が素人
(星野仁彦 福島学院大学教授・医学博士資料より)

(2) 厚生労働省の役人も認める
驚くべきことに厚生労働省の役人は、「抗ガン剤でガンは治せない」など、星野医師が指摘した点は十分認識していた。にもかかわらず、日本国民を苦しめている抗ガン剤を認めているのである。これは明らかに薬害ではないかと船瀬氏は指摘する。

(3) 医者は自分がガンのとき、抗ガン剤を使わない
寺山心一氏は自ら抗ガン剤で苦しんだ経験を元に、医者に「あなたがガンになったとき、抗ガン剤の注射を打ちますか」と聴いている。
271名の医師に聞いて、一人を除いて全員が使わないと答えた。
 医者は病院経営に病人(ガン患者)と高額な医薬品が必要であり、自分では使わない抗ガン剤を患者には使うのである。

(4) 15兆円のガン産業に巨大利権が存在
ガンを取り巻く利権のペンタゴンとして,以下の五つをあげている.
「政治屋(厚生族議員」
「官僚(厚労省官僚」
「学会・研究機関(医師会・ガン研・大学病院)」
「マスコミ」
「企業(製薬メーカー・病院)」

「政治屋」・・「企業」に対する権利誘導、見返りに政治献金。
「官僚」に対する人事権(首切り)見返りに情報コントロール
「官僚」・・「企業」に対する許認可、見返りに天下り・招待ワイロ。
「学会・研究機関」に対して人事介入、見返りに政策協力(審議会)。
「マスコミ」に対しては免許権(放送法など)、見返りに癒着(記者クラブ)
③ 「企業」・・「マスコミ」に対する広告料(口止め料)、見返りに自主規制
   「学会・研究機関」に対して研究費、見返りとして研究支援(開発テスト)
④ 「マスコミ」・・「学会・研究機関」にたいして攻撃回避、見返りとして学術情報の操作

「国家までもがこの利権構造の一翼を荷なっている。マスコミにとってスポンサーの製薬メーカーは神様です。スポンサーに関わることは一行一字もかけない、いえない。これがマスコミの本音です。また企業や政界に研究費や名誉、地位を握られた「学会」も利権の奴隷です」船瀬氏は怒りをこめてこう記述している。

(5) ガンは自然治癒力で治る病気
 船瀬氏は日本のガン医療の問題点を厳しく指摘した上で、ガン三台療法に依存しないガンとの付き合い方を「諦めないでください!ガンは自然治癒力で治る病気です」という章を設けて述べている。ここでは実際にガンに罹患しながらガンの三大療法を拒否し、ガンとどのように戦かたかを詳しく解説しているのである。

星野仁彦医師 福島学院大学教授・医学博士の事例は、自身医者で末期の大腸ガン・肝臓ガンに罹患し、五年生存率0%といわれた段階で抗ガン剤を否定し、星野式ゲルソン療法によりガンを完全克服した。
 
川竹文夫氏はNHKのディレクターで腎臓ガンに罹患し、手術をうけた。早期ガンであったが、彼は「不安と恐怖に襲われた、そして自らの命をコントロールできない、というやりきれなさに苦悩、煩悩した」と述べている。
多くの文献を調べ、ガンを克服した経験者に会う中で、治らないはずのガンでありながら、多くの生存者がいることを知って、「ガンが治りにくいのは、治らないものだという、誤った信念のためではないかと気づく」。
「ガンは治る」このことを多くの人に知ってもらいたい、ここから川竹氏の活動が始まった。『幸せはガンがくれた』の著書の中に触れられている。

 伊丹仁朗医師 すばるクリニック院長。『笑いの健康学』(三省堂)の著者。
人間が生まれつき持っている「ガンをやっつけるキラー細胞(NK細)」、その攻撃力はその主人で人間の気分や感情で、大いに変化する。
 ガン治療の最大目的は、このキラー細胞を「強くする」ことにつきるが、日本のガン医療の現場ではまったく行われていない。
伊丹医師は「笑いと免疫力」の研究から笑いがNK細胞を活性化することを立証している。反面『悲しみ、ストレス』を受けるとNK細胞はとたんに元気がなくなる。
伊丹医師は、『笑い』をがん治療にとりいれ、「生きがい療法」として活用している。

(6) 沈黙する患者の側にも責任がある
巻末資料で船瀬氏は「沈黙する患者の側にも責任がある」と述べている。患者が沈黙することで、ガン・マフィアたちは、やりたい放題のことができるからだ。
「だから声を上げなさい、疑問は訊きなさい、納得するまで尋ねなさいといっている。悲しいことですが身内、友達がガンで亡くなったら、すぐさま110番のダイヤルをしなさい、行動を起こしなさい。刑事で告訴・告発をしなさい。民事で損害賠償の請求裁判を起こしなさい」と述べている。

今の恐るべき日本の医療現場を変えるには、私たち一人ひとりが取り組んでいかなければ変えられない。そうでなければこれからも多くの人達の犠牲が積み重ねられることになる。船瀬氏は歪みきった現代のガン治療の実態を白日の下にさらしているのである。
(2012.8.9記)



421 酸化と還元と(サプリメントその2)

マイナス水素イオンのことを調べていると「酸化と還元」という言葉が出てくる。この「酸化と還元」という言葉に私は興味をもった。

(一) 酸化と還元と
 「酸化」というのは、物が燃える、鉄がサビる、物が腐ることをいい。物理学では「酸化とは電子を相手から奪うこと」を意味するとある。
 酸化と逆の反応が「還元」である。酸化を元に戻す、あるいは酸化を防止する。
サビた釘を「マイナス水素イオン」の水につけておくとサビが取れ鉄色の元の釘になる(実験中)。物理的には「余分に余っている電子を相手に与えること」とある。

(二) からだが酸化するとどうなるか
 人間のからだを酸化させるのは「活性酸素」である。活性酸素は酸素の中でも反応する力が強く、さらに活性酸素の中でも「ヒドロキシラジカル」が最も凶悪である。
 「ヒドロキシラジカル」はタンパク質、核酸、脂質、糖質などと反応して無差別に細胞を攻撃する。これが細胞を酸化させて、糖尿病、高血圧、動脈硬化、脳梗塞、など生活習慣病の原因になり、ガンを発生させるきっかけになる。またアトピー性皮膚炎やシミ、シワの原因になり、老化のスピードを速めるのである。(家庭の医学 時事通信より抜粋)

(表)活性酸素が引き起こす主な疾患
循環器・呼吸器系  心筋梗塞・動脈硬化・肺炎・狭心症など
脳神経系   脳梗塞・てんかん・脳溢血・パーキンソン病・自律神経障害など
消化器系   胃炎・胃潰瘍・胃ガン・肝硬変・クローン病・膵炎など
血液系    白血病・敗血症・高脂血症など
内分泌系   糖尿病・副腎代謝障害など
皮膚系    アトピー性皮膚炎・日光皮膚炎・皮膚腫瘍など
眼科系    白内障・角膜障害・網膜炎症など
腫症系    喫煙によるガン・化学発ガン、放射線障害など
指示組織系   関節リュウマチ・自己免疫疾患・膠原病など
(家庭の医学 時事通信)

からだの中にはもともと活性酸素を無力化する「抗酸化物質」がある。SOD(スーパーオキシドディスムターゼ)、タカラーゼ、グルタチオンと呼ばれる酵素である。
 ところが加齢とともにこれら抗酸化酵素が減少して、大量に発生する活性酸素に対抗できなくなる。だから40歳を過ぎると生活習慣病が発症してくるのである。
 そこで減少した抗酸化酵素を補うためにビタミン類、ポリフェノールなどのファイトケミカル類の抗酸化物質を食事やサプリメントで摂取することが勧められているのである。

(三) からだを還元するとどうなるか
 からだを酸化から守る考え方をさらに進めて、「酸化」したものを「還元」したら元の健康なからだになるのではないか、という考え方が出てくる。サビた釘を「還元」すれば元の釘になるイメージである。

 実は今までにも、「還元」すれば生活習慣病やガンが治るのではないかという発想で挑戦した事例がある。ところがうまくいかなかった。理由は、還元に使われた還元物質(ポリフェノール、COQ10、ビタミンE、ビタミンCなど)の分子量が大きすぎて細胞レベルに到達しなかったことと、天文学的数の細胞やミトコンドリアのなかで絶えず発生する活性酸素に対して、これに対抗する還元物質を大量に供給ができなかったからである。
『マイナス水素イオン ー健康革命』(若山利文)

(参考)
ただし、先に触れた星野仁彦医師が指摘するゲルソン療法での「生野菜ジュースのガン抑制メカニズム」で生野菜ジュースがガンに対して有効なことが述べられている。
409b(星野式ゲルソン療法参照)

もちろん、ゲルソン療法の標準といわれる一日 3000ccといった大量な生野菜ジュースは普通の生活では摂りにくいのは事実であり、これを補う還元物質が望まれていたわけである。

(四)マイナス水素イオン その驚くべき発見
からだを還元するために、分子量がケタ違いに小さく、還元力もケタ違いに強力な物質が見つかったのである。これが「マイナス水素イオン」である。
「マイナス水素イオン」というのは水素原子に電子一個を付加したものである。活性酸素の中で最も凶悪なヒドロキシラジカルと選択的に反応して中和し、水に変え体外に排出する強力な抗酸化作用が注目されているのである。
 「マイナス水素イオン」は不安定な物質で自然界では一時的にしか存在しない物質である。ところが最近の研究で「マイナス水素イオン」をイオン結合して、粉末化する技術が開発され、「マイナス水素イオン」の欠点が克服され、からだのなかで水と反応し、大量にかつ持続的に供給できるようになったのである。
 水素は宇宙で最も小さく、最も多く存在する原子である。分子量が小さいことから細胞レベルや脳関門を通過して体のすみずみまでいきわたり、かつ大量に供給できることで、からだ全体で効率よく抗酸化力を発揮することが出来るようになったのである。
 つまり「マイナス水素イオン」の発見により、上で述べた「酸化」したからだを「還元」することが可能になったのである。

(五)水素の時代
 先進的医者を中心として「水素と医療研究会」(社団法人)のような「マイナス水素イオン」の臨床的研究は始まったばかりである。生活習慣病の抗酸化(還元)だけでなく「抹消血液循環の促進」「TCA回路(クエン酸回路)の活性化」「脂肪代謝の促進」「放射能の体内被曝の軽減」など色々な分野での研究が進められていくことになるであろう。「水素の時代」が始まったのかもしれない。

 健康雑誌「壮快」に生活習慣病だった人の症例が「食べる水素」として紹介されている。
(2012年8月号、2011年7月号)

 ガンに対して「マイナス水素イオン」がどのような働きをするのかまだよくわかっていない。しかし「がんが消えたーマイナス水素イオンの奇跡―」(及川胤昭・鶴見隆史 幻冬社)に見るように先進的な医者はすでに積極的にガン治療に取り入れているのである。紹介された症例には、ガンが消えてしまった症例が出ている。
(2012.8.15記)
             
追記
マイナス水素イオンのサプリメントについては、2014年2月1日ある事情で飲むのをやめた。 
ただ水素の持っている可能性については大いに期待している。今後も注目していきたい。
( 2014.2.2記 )    




422 ウォーキングの楽しみ方


2011年4月春になってウオーキングを再開した。毎日、同じような時間に歩いていると顔見知りができる。挨拶するのは気がひけるが、したしみをこめて「ニックネーム」をつけるのは楽しみである。遊び感覚だから罪は無い。
いくつかをあげてみよう。

・眼鏡のとっつぁん=トンボ眼鏡のような雰囲気、自転車ですいすい
・ヒゲ爺=下あごに白ヒゲを蓄えた人、颯爽と自転車に乗っている
・鬼瓦=顔も身体も四角い、のっしのっしと歩く姿は鬼瓦である
・昔なでしこ=細面、昔の面影が残っているかな
・電車ごっこ=いつも二人で一組、背の小さい人がいつも前、電車ごっこみたい
・ザトペック=手を大きく振り一生懸命歩く姿は、昔のマラソン選手を思い出す
・犬の糞まき親父=犬の糞を茂みに撒いたり、花見川に撒いたり不愉快な奴
・忍び=まっすぐな姿勢で身体がほとんど揺れない、忍びが走っているような女性
・村中ハルミ=両手を肩まで上げ、私が私がと掻き分けるように走る。ハルミにそっくり
・インド人=哲学的雰囲気を持った人
・案山子カカシ=やせた二人の男性、今日も海まで散歩ですか
・斜塔=ピサの斜塔のように少し傾いている
・走れメロス=一生懸命に、走る、走る
・豆タンク=背は低いがエネルギッシュに歩く姿は豆タンク

ウォーキングの楽しみの中に、囲碁仲間との出会いがある。4月、久しぶりに会った人から、最近見られませんが、仲間内では「碁敵と喧嘩でもしたんですかね」と話していたという。まことにけしからん噂話である。川柳にあるように「碁ガタキは憎しもにくし懐かしき」。それでも誘われると血が騒ぐ。もう少し気力(棋力?)が回復したら出かけていこうと思っている。



423 アキラめない


長男から送られてきた写真には孫をふくむ長男家族全員が「アキラめない」のシャツを着ている。家族の絆を感じてしまう写真であった。


                 

424 飛び立つ寸前のアゲハチョウ



425 ガンの痛みの本質

独立行政法人「大阪医療センター」の資料によると「前立腺ガンは骨(骨柱と骨盤骨)、リンパ節に転移しやすく、進行性前立腺ガンの八割は骨転移している。骨に転移していると骨を脆くし、痛みや骨折を引き起こす」「骨移転のメカニズムは原発から分離したガン細胞が血液やリンパの流れに乗って転移し、骨に到着したガン細胞は破骨細胞というものを活性化させて骨を通常でありえない頻度で破壊させる」とあった。

「破骨細胞」は、普通は古くなった骨の代謝に使われるもので、古くなった骨細胞を形成する骨の成分を溶かして血液中に放出し、代謝を促す働きがある。ところが転移したガン細胞は、正常な骨を「破骨細胞」によって破壊するわけである。第一図の骨シンチで示した場所が、まさに痛みの元になっていたところであった。

医者からは骨折の恐れがあるから、ラジオ体操やウォーキングもだめといわれていたが、ラジオ体操、ウォーキングは軽めにしたとしても「鉄棒へのぶら下がり」は無謀、明らかにいきすぎである。大事に至らなかったことはさいわいであった。


ところで骨の代謝サイクルは、成長期の子供で半年から1年、成人期を迎えた骨は約3年といわれている(参考:kotsryou-guide.con)。したがって、骨折に対しては、これからもかなり長い期間、注意が必要といえる。

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426 ノルディックウオーキング


(一)誕生プレゼント
 二月四日に七十歳、古希の誕生日を迎えることができた。
子供たちから誕生祝いとしてノルディックウオーキングポールを送られた。
早速誕生プレゼントのノルディックポールを使ってみた。
花見川のサイクリンロードから検見川神社ルートである。三日前に降った記録的な大雪で、街中は歩道でも結構雪が残っているのに、花見川サイクリングロードは歩くところには雪がなかった。雪がなかったことは予想外であったし人もまばらで、ノルディックウオーキングの練習にはぴったりのコースであった。

(二)簡単だからいいね
ノルディック複合というオリンピックの種目がある。ソチ・冬季オリンピックで渡部暁斗選手が20年ぶりに銀メダルに輝いた。スキーのトライアスロンといわれるように過酷なスポーツとして有名である。
ノルディックウオーキングというのは解説書によると「ポールを使って歩く最新のフィットネスウオーキング」とある。もともとクロスカントリースキー選手が夏の間の体力維持や強化のために行っていた「スキーウオーク」というトレーニングの一つから一般の人を対象にしたフィットネスウオーキングとして新しくプログラムされたものとあった。

特徴は
1. 季節を問わない、
2. ポールを使えるところならどこでも、
3. 始めようと思ったらその日から、
4. ポールを使って地面を押しながら歩くところがあたらしい点、
5. 地面を押すことで脚部中心の運動から全身運動となった
6. 二の腕や腹部のシェイプアップになる、
7. 運動量はウオーキングの二割アップ

  近隣でノルディックウオーキングをしている人は今まで10人程度しか見ていない。まだまだ普及にはほど遠いのであろう。
だから、スキーのストックに似ているポールを使って雪道を歩いていると「記録的な大雪の中でスキーのストックをつきながら危なっかしく歩いている人がいる」そんな反応なのかもしれない。

ポールの長さや歩き方はまだしっくりいっていないが、背中を伸ばし、手を大きく振って歩くのは、なかなか気持ちがいいものである。

(三)問題点はゴム製のキャップ
 問題点はストックの先につけるポールキャップ(ゴム製)の消耗が早いことである。私の場合二ヶ月持たなかった。二組だと1000円から1700円ぐらいである。スパイク付だと持ちがいいが値段が高いようだ(経験者の話ではスパイク付だと一組24000円と聞いたことがある)。これから日本でも本格的に普及していくに当たってゴム製のキャップの持ちを良くするか、価格を安くするか、ぜひ改善していただきたい点である。

(四)歩くときは気をつけよう
 春真っ盛り、桜の花を見上げながら歩いていたところ、地面のくぼみに足を取られ、倒れこんでしまった。情けない話で、擦り傷を二箇所作ってしまった。
けつまずいて、地面に投げ出されたのはこれで二回目である。「転ばぬ先の杖」というが、杖(ノルデックポール)を突いていても役に立たなかった。けつまずいたとき、送り足が出ないのである。反射神経が元々鈍いのか、あるいは年齢とともに鈍くなったのかである。いずれにしろ足元に十分気をつけるしかないようだ。
(2014.4.22)
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