2018年1月1日月曜日

209 新たな挑戦

209 新たな挑戦 (一)禍福はあざなえる縄の如し
 食事療法を始めて八カ月目はいろいろなことがあった。
家内が自転車で転倒して骨折してしまった。野菜の買出しに出かけ、自転車の前と後ろの荷台に野菜を積み、さらにリュックサックに野菜をつめて背中に背負っていたが、バランスを崩して自転車ごと倒れた時に、股関節の骨頭のところを骨折してしまった。
 次男が一緒に買い物にいっていたので、すぐに緊急病院に連れて行くことができ、レントゲンの結果、市立青葉病院を紹介され救急車で転送、入院となった。
 二日後の手術には、長男と私が立ち会ったが、幸いなことに手術は軽く30分で済んだ。股関節という場所で心配したが、ボルト二本で固定する手術は、滞りなく時間通りにすんだ。家内は、手術後18日で退院することができた。これは大変に早い回復力といわれたようで、家内は食事療法によって、免疫力が高かったせいだといっている。

(二)主夫業でヘトヘト
 家内が入院して三日間でヘトヘトになった。朝は4時過ぎに三匹の猫に起こされ、野菜ジュース、食事、猫のトイレの始末、洗濯などなど、立ちっぱなしであった、結局、段取りが悪いのである。
季節は、ちょうど暑くなりはじめのころで、冬物衣料と夏物衣料の交替時期に当っていた。夏物がどこにしまわれているのか、かいもく見当がつかない。これには困った。息子のアドバイスで家内のケータイに自宅のパソコンからメールを送って情報交換ができるようになっていろいろ聞きながら一つひとつクリアしていった。家のことはすべて家内に任せていたので、突発的出来事が起こるとわからないことだらけである。
食事は何とかレシピを見ながら作ることができたし、横浜の友人から野菜宅急便、次男夫婦や家内の弟夫妻による野菜の買出しなどに助けられながら、なんとか18日間を乗り切ることができた。

そんな中での失敗談を二つほどあげておこう。
一つは玄米である。レシピを見ながら、水で洗い、フライパンで炒り、圧力釜に水をたっぷり入れて一晩つけておいた。翌朝、火をつけようとしてなべの蓋を開けると、なんと水がない。量を間違えたとあせり、水を追加したのが間違いの元。結局、炊きあがりは、お粥寸前の泡のように柔らかい玄米になってしまった。うろ覚えやレシピだけではだめで、身体で覚えていかなければならないと実感した次第である。
手術に立ち会った長男にこれを食べてもらったが、長男は人がいいからかカレー風味のスープのなかに玄米を入れて流し込んで食べていた。「美味しいよ」と言ってくれたが気の毒なことをしてしまった。

もう一つは卵である。スーパーで購入すると一パックが10個入っている。毎日一個ずつ食べていくと、後半、鮮度が落ちる。そこで5日ほどたった日に、残りの卵五つを茹で、卵の殻をむき、冷凍した。食べるときは、解凍して電子レンジで温めたのだが、これが水っぽいので参った。

(三)第一段階・ガンとの闘いに勝利宣言
家内の入院騒動でヘトヘトになっていたが、7月の検査でPSAがさらに改善した。

2010年9月22日    721
2010年10月20日   786
2010年12月22日    97
2011年1月19日     36
2011年4月13日      2.5
2011年7月6日       0.24
(その後の推移を追加)
2011年10月19日     0.022
2012年1月4日       0.008未満

 医者は7月の0.24の数値を見て、「ホルモン療法の効果が効いている。これだけ下がるのは珍しい、ガンが深い眠りに入っている。今後は、この状況を維持できるかの問題です」というコメントだった。これはうれしい知らせである。
「PSA0.2」というのは、前立腺ガンを手術した医師が、手術で取り残したガンや転移したガンがないかを判断する基準だそうだ。今回は、ほぼこの水準に達したわけだ。
「食事療法・野菜ジュースの凄さに万歳」である。

今までは、全身に転移しているガンの活動をいかに抑えるかという戦いであった。この目的は、ほぼ達した今、「ガンに克った」と自分勝手に勝利宣言をしたのである。

(四)ガンとの戦い・第二段階に入る
 これからは「5年生存率」に挑戦である。
私のように悪性の進行性ガンで全身に転移しているレベル「D2」の5年生存率は29パーセントと低いことは先に述べたが、一方で、ガンとの闘いに勝利した食事療法・野菜ジュースの効果の高さも実感している。
現在は、いままでの大幅マイナスからようやくゼロの段階まで押し戻した水準。大病しただけに身体は元に戻っていないが、少しずつあせらず頑張っていくつもりである。

もう一つの励ましは、同じマンションに住むKさんとの出会いである。Kさんは同じ病院で時々見かけたが、4月に思い切って話を聞いてみた。驚くことなかれ、彼は13年前、前立腺ガンに罹り、13年間、毎月、注射と薬のために通っていることがわかった。初めPSAが8ぐらいだったものが13までいったためホルモン療法を始めた。二カ月後PSAは0.2になって以後、安定し、再発もしていないという。
彼は現在82歳だから13年前は69歳、いまの私とほぼ同じ年齢である。きちんとガンと付き合えばKさんのように生きられるという啓示を受けたように思った。 (2011.7.10記)

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